───────00話 出逢い赤。
赤。
視界の端に映る、飛び散る赤。
大きな物音がした方へ振り返り、その正体を確認する。「なんで」途端、手から滑り落ちるコントローラー。俺の視界が捉えたものはあまりにも信じ難い異様な光景。視界を覆い尽くす赤。床へと滲み出る赤色を、今でも覚えている。
そこには、床に力無く倒れ込んでいる君の姿があった。✦✦ああ、まただ。また眠れない夜だ。シーリングライトの、間接照明が消えた真っ暗な部屋の中で一人、目を瞑る。それで眠ることができればなによりも一番良かったのだが、ここ最近はなんだか妙に心が騒ついて落ち着かない。目を閉じると、目蓋の裏に誰かがいるような、そんな気配がする。そうして今もずっと俺を凝視してくる。何も言わずにこちらを真っ直ぐに見つめている。今もまだ視線を感じる。そんな気がしてままならないのだ。部屋の中にはもちろん誰もいない。そんなことは分かっている。耳鳴りが続いている。その音は叫び声のように、鼓膜を揺さぶる。耳を塞いでも、ずっと聴こえる。纏わりついて離れない。この部屋の中は静か過ぎて、煩い。自室にいても、どこか居心地が悪くて、仕方がない。この学生アパート内で何か騒音がするとか、そういったわけではない。寧ろ、このアパートはあまり人気がないのか、住んでる人自体少ないし、快適な方だ。だからこそ余計にだ。ただただ漠然とした不安が募って胸が騒ついているような。勉強机に向かって参考書とノートを開いてずっと勉強していた。そうだ。ついさっきまで続けていた。課題を終わらせた後で、脳が酷く疲労しているのに、眠れないのは厄介だ。何もやっていない時が一番苦しい。特にこの寝る前のほんの僅かな時間とか。仮にもしも脳が興奮状態にあるから寝付きが良くないだけであるなら自分の中でそれなりに納得もいくのにな。今、何時だろう。ふとそう思い、時計を確認しようとするも、スマホは勉強机の上、そう簡単には手の届かない遠い場所にある。これは主治医の先生のアドバイスだ。俺は寝る前に必ずと言っていいほどスマホを眺めてしまう。それが以前までの、俺のナイトルーティンだった。気付けば何時間も経っていたし、時間がどんどん潰れていくから、俺にとって一番良い時間の潰し方だった。だけどそれではやっぱり、不眠の原因になってしまうからと、注意を受けて、今治そうと思っている。別の場所に目を配り、壁に掛けられたデジタル時計を見ると、22:55という数字の羅列があった。寝る支度を済ませて、寝具に入り、横になる頃は30分を過ぎた頃だったはずだ。少し想像よりも時間が経っていないことに絶望した。勉強机に向かい小説を読む。灯りは、月明かりだけ。最近までスマホで読むことが当たり前になっていたけれど、紙の本も悪くない。質感が良いし、スワイプをしないで頁を捲る感覚も、それはそれで楽しいのだ。ああ、この感覚、中学生の頃以来だ。中学生の頃からスマホが当たり前にあったけど、それは趣味に使うようなものではなく、もちろん勉強用のスマホで、アプリは全て勉強に活用する為のものばかり。それ以外は夜の塾の帰りに車で迎えに来てもらう連絡を親にする時くらい。今ほどは見ていなかったし、制限も多かったから、ほとんど、あってないようなものだった。親の目を掻い潜ってSNSを見る専で見てたけど、それもバレて消されたし。まあ、あの年齢でやるってなると、怒られて当たり前だったと思う。でも、周りの子はゲームしても怒られなかったし、スマホで普通にできてたから、羨ましくも思ってた。俺はあまり友達の会話に入れなかったし、それの中で話題に上がってないもので盛り上がっているのを見ると、どうして俺はこんなにも親からの規制が厳しいんだろうと思うことも、少なくなかった。それに、あれは思い出すと今でも……。俺はハッとして意識を戻す。デジタル時計の、その横の壁に掛けられたカレンダーが、嫌でも視界に入ってくる。そしてそこに大きく表示された4月の文字に、少し顔を顰めてしまう。きっと、俺はこれを無意識の内に視界に入れないようにしていたんだろう。その隣の日数。細かな数字の羅列に少しだけ、眩暈がした。認識するのを、脳が拒絶しているみたいだ。……嫌なことを思い出したな。なんだか、すこし、気持ちが悪い。顔を上げ、少しだけ空気の入れ替えをしようと締め切っていたカーテンを開ける。月の光だけがカーテンの隙間から部屋を照らしていた。窓を開けて見ると、月が欠け、優しく辺りを照らしていた。眩し過ぎない光が心地良くて、それだけでなんだかよかった、と妙な所で安心感を覚えた。そして、懐かしい記憶を思い出す。そうか、俺は昔、星を見るのが好きだったんだ。星を見ていると綺麗で、広大で、こんなにも広い宇宙を目の前にしたら、自分の悩みなんてちっぽけに感じたからだ。なのに。今ではもう気付けば俯いて下ばかり見るようになってしまったのか。……いや、今はもう変わったんだ。そうだ俺は昔のあの、子供の頃の俺とは違う。環境も、年齢も、考え方も、何もかも変わったんだ。過去を思い出して謎に感傷に浸ってしまった。どことなく気分が落ち込んだ。もういいか、十分だ。そのまま星空に背を向け、寝具に戻ろうとした。その時だった。偶然ベランダの隙間から見えたものは───流星群だった。後ろを向いていても分かる。床が花火が打ち上がる時みたいに一瞬、明るくなった。
それは月明かりとは違う、チカッと点滅するような激しい光だった。「え、」思わずその方向へ振り直す。「なんだ、あれ」煌々とした星々が、チカチカと点滅しながら墜落していく。連星のようにも見えたが、間違いない。それはまるで雨のようにこの街に降り注いでいく。形容し難い程に美しく、綺麗な光景だった。満点の星空が迫ってくる。こんなに星が手に届きそうだと思ったのは、生まれて初めてのことだったから。「すごく、綺麗だ……」人は感動すると見惚れる。永遠に見ていたくなる。一分一秒でも見逃したくないと思う。俺はその感情が星に向いていた。なぜだか分からない。けど、その時はまるでその星に吸い寄せられるように、気付けば迷わず靴を履いていた。物音を立てないように慎重に、玄関のドアを開ける。その星が落ちたであろう方向へと向かって歩く。路地には誰もいない。町外れのこの辺りは暗いが、南月影区の都心部はまだ明るく、煌々としている。あの星がこの街の付近に落ちてるわけがない。目の前に落ちているように見えてるだけ。そう錯覚しているだけ。そんなの、分かっていたはずなんだ。だけど……星の光は、もっと濃くなる。あと少し、あと少しなんだ。あと少しで手に届きそうなんだ。もう少しだけ見ていたかった。触れたかった。俺だけが気付いていればいい。俺だけが知っていればいい。俺だけのものにしたい。そうして、星に手を伸ばす。そう思った矢先の出来事だ。その選択を、酷く後悔することになる。視界の端に、何かがいる。……ああ、どうして俺は気が付かなかったんだろう。街灯が何一つ点灯していないことに。
鼻を刺すような、血生臭い死臭が周囲を纏っていたことに。
そして、真っ黒な影のような存在が数メートル先まで迫っていたことに。見たくない。分かりたくなかった。ただそこにあるものは、違和感だった。眼前に広がる景色。その正体の全貌は明らかになっていないが、俯向きながら佇んでいるように見えた。その存在は決して見間違いなんかではない。明らかに様子がおかしいことは分かった。その存在に気を取られていたら、その星の光はゆっくりと輝きを失い、辺りは再び暗くなる。流星群はいつの間にか消えて無くなっていた。いや、初めから流星群なんて、そこに無かったのかもしれない。俺はずっと、騙されていたのか。チカチカと不規則に点滅していた街灯がやがて再び点くと、その者の姿を表す。なのに何度瞬きを繰り返しても空間にぽっかりできた穴のように真っ黒で、なぜかそこだけ視認できない。周りが明るいのに、足元が地面に着いているのに、目の前の存在の足元には、影すらなかった。違和感の正体はきっとそれだ。その存在は、雑に切り取られて、その場に貼られたみたいだ。明らかに背景から浮いていた。やがて不自然に伸びる影は、まるで意思を持っているかのように歪み、うねり始める。地面だけが歪んでいるんじゃない。ぐにゃり、と空間ごと歪んでいるような。それは自身が〝異質な存在〟であると言わんばかりに。そんなことが現実にありえるだろうか。目の前にいる異様な存在や空間が、今ここに存在していることが。きっとそうだ、また俺がおかしいだけなんだろう。俺がおかしいから悪いんだろう。真っ先に自分の目を疑うが、何も現状は変わらない。耳鳴りがする。蛇に睨まれた蛙のように、身体が硬直して動かない。金縛りにあった時のように。息をするのを忘れて瞬きすら出来ない程に。
そして、その者からボタボタと流れ出るそれは、確かに真っ赤な血であったと知ったから。その時の俺は、軽いパニック状態に陥っていて、頭の中が真っ白だった。その場から離れることすら忘れてしまうほどに。でも、俺には、分かる。この存在に過去にも遭遇したことがある。そうだあれは、あれは。対象から、恐怖で目を逸らせられない。嫌でも察してしまう。気付いた時にはもうなにもかも遅かった。触手の存在を認識する頃には直前まで音もなく迫ってきていた。認識出来なかったのは、真っ黒で夜道の背景に溶け込んで見えなかったからだ。黒を認識しようと目が眩んだからだ。だけどよく見ると蛍光色の、青紫が一瞬だけチカっと街灯に反射して発光して見えた。恐怖で片脚が本能的に後退しようと動こうとする。しかしそれとほぼ同時に、相手の触手に行く手を阻まれてしまう。後ろ側からじわじわを締め付けられるように、ゆっくりと行き場を失っていく。そうしてそのままなす術もなく腕を強く掴まれ、ガクンと身体が動かなくなる。足がもつれながら、それでいて強引に、相手のそばへと自ら近寄っていかなければならないという残酷な選択肢。抵抗しようとする足が引き摺られ、ゆっくり引き寄せられていく。「あぐッ、」肩から腕にかけて想像を絶するほどのビリッとした激痛が走り、声すら出なくなった。体験したことのない痛みに、一気に冷や汗が滲む。目が見開き、反射的にその場に嘔吐する。苦しい、何度も嗚咽を漏らす。脳が覚醒する、一瞬にして死を実感するそんな痛みだ。俺の最期は。どんな死に方をするんだろう。今から、どんな殺され方をされるのだろう。このまま食べられでもするのか。ぐちゃぐちゃにでもされるのか。それともあの有名な事件のように、内臓を抉られて血を抜かれたりでもされるのだろうか。……なんて、それはSFの見過ぎなんじゃないか。確かあれは、対象が人間じゃなくて結局、牛だったんだっけ。なんてことを考えてる内に、終わるのか。痛みでぐらぐらしてる脳で思考を巡らす。そうか、分かった。俺の人生はここで終わる。俺はこんなところで死ぬのか。そうか、あの時は死ねなかったから、あの時殺し損ねてしまったから。だから今度こそ、確実に殺しにきたんだ。俺はきっと、このまま殺される。殺されてしまう。死ぬ。ああ、走馬灯が見えてくる。走馬灯が……。走馬灯が見えない。何もない。何もなかった。何もない人生だった。何一つ成し遂げることができなかった人生だった。
頑張って、思い出そうとしても、何一つなかった。
人生なんてものはこんなもんだ。なんの物語にすらならないものだった。つまらなくて、面白味もなくて、何もない。そんな人生。何を恐れているんだろう。そうだ俺は結局。本来だったら、あの時にでも死んでいてもおかしくなかった命なんだ。必要のない人生だったんだ。後悔することさえ烏滸がましいくらいに。ここで死ぬくらいが俺の人生に相応しい。俺に与えられた幸福。丁度良かった。これ以上何か与えられる前に。何かを奪われる前に、早く楽になりたい。ただ一つ、心残りなのは……
咲紀のことだけ。
どうか。来世も、未来も、何もいらないから。神様、せめて咲紀を幸せにしてください。
俺の全てを咲紀に与えてあげてください。死を覚悟して目を瞑る。しかし何も起こらない。恐る恐る、閉じた瞼を開ける。目の前の化物は、俺の覚悟に応えてはくれなかった。ただただ俺が恐怖で怯えている様子を舐め回すように眺めていた。その目は見開かれ、眼球がゆっくりと下から上へ、視線を移動させながらじっとりと、俺の全身を、隈なく見ていた。光を通さなかった、真っ黒だと思っていた顔は、顔面のほとんどが塗り潰されたかのように血で真っ赤に染まっているだけだった。俺のことを、一頻り堪能した後で、ゆっくりと目を閉じ、一呼吸置き、暫くの静寂の後。口を開く。「会いたかったよ、入間。」そう、目の前の化物に寂しそうに微笑まれたのだった。もう、何が起こっているのか分からなかった。想像もつかない、突拍子のない言葉が耳に飛び込んできて、困惑せざるを得なかった。その声色は優しく、先程までの心臓を締め付けられるような緊張感が嘘のようにサッと引いていく。先程までいくら目を凝らしても認識出来なかったその者の姿は今でははっきりと視界に捉えられる。その真っ黒な瞳と目が合う。その瞳には、恐ろしいほど何も反射しない。目の前にいる俺の姿さえ。どうして俺の名前を知っているのか。どうしてそんな表情をされたのか。どうしてそんなことを言われたのか。どうして俺を殺さないのか。それはきっと容易に出来たはずなのに。その意図は、読めない。俺を一体どうしたい。いくら考えたって、皆目見当が付かないまま。ここまでの全てが一瞬の出来事のように過ぎていった。それでも今この瞬間だけ時間がゆっくり流れているような錯覚を覚えた。ここで勇気を持って立ち向かう方が、かっこいいのかもしれない。でも俺は知っている。それは、本能的だったのかもしれない。今は一刻も早く、この状況から抜け出さなければ。そうだ、今しかない。今だ。今なら逃げられる。ただ今はとにかく逃げなければ。そう考えるとほぼ同時にその時、先程まで硬直していた俺の身体は動いていた。隙を突いてその場から逃げ出す。踵を返すと、案外するり、と簡単に離された。気付いたら俺は走り出していた。こんなところでまだ死にたくない。殺されたくない。俺は、間違えている。そうだ、咲紀を置いて一人で死ぬなんて絶対にできない。走って、走って走って。家までの真っ直ぐな道のりを無我夢中で走った。走っても走ってもなかなか辿り着かない。帰路が、とてつもなく長く感じた。ようやく家まで辿り着き、全速力で家の玄関に駆け込み、ガチャン、とドアを勢いよく閉める。心臓が今にも飛び出しそうな胸を抑えながら、乱れた呼吸を整える。そのまま力なく額をドアに押し付けるように凭れ掛かってしまう。ハッとする。いや、まだ油断できない。俺は急いで玄関ドアを施錠する。そうして今度こそ安堵する。落ち着くようにドアに背を向けて後頭部を付けながらそのままゆっくりとしゃがみ込む。落ち着いて呼吸を整える。今聴こえるものは自分の心臓の音以外、物音一つしない。そうか、これでもう一安心。……したのも束の間。その直後に絶望することになる。なぜなら、先程まで聞いていたあの声が、今度は部屋の中から聞こえるのだから。「待ってよ、まだ話してる途中だよ」「ッ」声のする方へ目を向けると、背中が見えた。それは、玄関を上がった先の部屋の中にいた。「あ、あぁ…ッ!」それを見て思わず、その場で尻餅をつく。声も出ないまま腰が抜けてしまう。ああ、もう既に遅かった。惨めだろうがなんだろうが、そんなこと考える余裕すらなかった。今は震えて立てない。今からまた玄関をでて、警察署に駆け込むとか。頑張って向かったところで、もう無意味な気がした。どうしたらいい。もう完全に逃げ場を失ってしまったんだ。「ま、まって、…ッ、」「こ、殺さないで…くれ……、」気付いたら俺は、そんなことを口走っていた。必死に命乞いする。まさに、絶望的な状況だった。だけど目の前のそれは、怯えてる俺の姿を淡々と見ているだけで、特に何かをするような様子はなかった。そして口を開くと、こんなことを俺に伝えてくる。「あのさ、少しの間ここにいさせてよ」そんな突拍子もない提案に、一瞬脳が処理しきれなかった。何よりそれはしっかりした日本語だった。思考停止している俺とは裏腹に、まるで昨日まで友達だったような調子で気さくに話しかけてくる。気付けば、先程までの服装とは違い、その代わりに馴染みのある、学ランに似た学生服のようなものを身に纏っていた。ボタンはあの普段見るような色ではなく、白い。とにかく全体的に白黒だった。表情も打って変わって柔らかく、さっきまで顔面まで真っ赤に染まって血塗れだったあの姿はまるでなかったかのように、鼻をつくあの血生臭い匂いもしない。そう、まるで全てがなかったかのように。「困ってる。宇宙船がおかしくなっちゃってさ。別にね俺一人でも惑星に還れるんだけど、一応、許可を得て借りてる物なんだよ。こーんくらいの大型のモノはさ。
今は自己修復中なんだけどね、もう少し時間、かかるみたいだからさ」お願いをするように手を合わせて頼み込まれる。そんな仕草をされたって、さっきまでの行動を鑑みるに、可愛くはない。
目の前のそれは、俺の視線に気付いている。そしてそいつは、地球外生命体であることを包み隠さず話した。やっぱりそうだったんだ。つまり、俺は……。なら、さっきまでの姿は一体なんだったんだ。俺は、どうしたらいいのか。家に置くってことは、つまり宇宙船がいつ治るかも分からないのに、その間一緒に過ごさなければいけないってことになる。俺はまだその宇宙船を見たこともない。一体どこにあったんだ?というか今はどこにある?俺は諦めてこの宇宙人と一緒に過ごさないといけないのだろうか。先のことを考えると恐ろしくなった。目が泳ぎ、心臓の鼓動が速まる。整え損ねた息が荒くなり、嫌な汗も滲み出る。身体の芯から震え上がるような恐怖だ。そんな俺の心を見透かしているように笑いかける。「あれ、俺、そんな怖がらせるようなこと言ったっけな」そう言ってなぜか困っていたが、困っているのはこっちもなんだ。頭に思い描くものは、そのどれもが嫌な妄想ばかりだ。もしここで下手なことを言ってしまったら。選択を誤ってしまったら。俺はきっと容赦無くその場で殺されてしまうかもしれない。一滴の汗すら逃さず監視されているような張り詰めた緊張感の中。ふと頭に過る。もう、逃げる事は諦めてしまおう。どうせ逃げられないし。それで、そうだ。今なら何かしら提案が出来るかもしれない。むしろ、ここで言わないと俺はこの先どうなるか分からない。それなら、それなら何を言うべきだろうか。慎重に言葉を選択しなければいけない。いいものを提案できれば、少なくとも俺が困ることを減らせる。これは交渉のチャンスでもある。そうだ、絶対に逃してはいけないんだ。「それなら、」と、なんとか絞り出した声で相手に告げた。「人に危害を加えないと、地球のルールを守ってくれると約束してくれるなら。」これなら、宇宙船が動くようになるまでの間の安全は少なくとも保証される。その間俺は殺されないし、みんなも殺されない。……もちろん口約束だし、そもそも信用もしていない。こんなものを守るようなやつだとも思ってないけれど。相手も困ってるからわざわざ俺に頼み込んできているわけだし、それさえ守って衣食住手に入るならそんなに悪い提案でもないと思う。俺はこいつのことも賢いと信じているし、頭だって悪くないと信じてる。きっと分かってもらえるはずだ。それを聞くと、なんの迷いもなく「いいよ。」と即答し、いともあっさりと条件を飲んだのだ。よかった。……って、違う。なんで俺が、こんなことをしなければいけないんだろう。なんで俺がこんな目に。じわじわと後悔が押し寄せてくる。もっと相手が嫌がるような提案をしていって、どこまでが最低ラインか、把握しておけば良かった。「ようやく落ち着いた?
郷に入っては郷に従え。俺さ、この惑星のルールあんまりよく分かんないから、色々教えてよ。」そう言ってゆっくりと近付いてきて、俺の目の前でしゃがみ込み、目を細めて、笑顔を向けられる。「なあ、大丈夫?立てる?」可哀想に、と髪を柔らかく撫でられる。振り解く気力も今はなかった。気に障るようなことをしたら俺はどうなるのか、怖い。……そうか、俺はまだ、死にたくないんだ。俺と相反している存在であるというのは、間近に迫られると明確になる。呼吸していないのか一切上下しない肉体、瞬きしない瞳、黒髪が強調されるようなコントラストの白い肌。光に当たる部分に青紫の蛍光色に見えた。そのどれもが作り物のようで、動かないとそれが生き物であることすら疑ってしまう。明らかに異質だった。なぜこんなにも違和感を感じるのだろう。明らかに人間ではない、と思ってしまった。言ってることは事実だろうと。だけど、容易に信じていいのだろうか。こうして意思疎通ができるだけマシだと思ってしまうのが嫌だ。見た目が悍ましい怪物ならまだ良かった。それなのに目の前にいるのは人の形をしている何かで、動けば違和感を感じない。だからこそ脳が錯覚してしまうんだ。この宇宙人が地球に訪れた目的はなんなんだろう。地球侵略とか、移住先にする為だとか、それとも、人間を奴隷にするとか、もっと他にあるだろうか。「名前、まだだったね。俺は、化野。これからしばらくの間、よろしく。入間」と、目の前に手を差し出される。
聞き損ねたことが一つあった。だけど、その時はどうしてもそのことを聞けなかった。
それは化野から「ん。」と、きょとんとした顔で握手を催促されてしまったからだ。「あ、ああ、」恐る恐る、握手を交わそうとした。……が、その直後、ぐらっと視界が歪む。空間を把握できなくなる。認識ができなくなる。頭痛がする。眩暈がする。耳鳴りがする。動悸がして呼吸が浅くなる。冷や汗がたらりと顔の輪郭を伝う。それと共に、世界がぐらぐらと揺れだす。世界が傾いていく。違う。傾いてるのは俺の方だった。気付けば、冷たい玄関の床に突っ伏して倒れこんでいた。全身に力が入らない。これは眠たいんじゃない、どうしても抗えない、眠気とも違う、強烈なまでの何かだった。……もしかしたら、自分が思っているよりもずっと疲労していたのかもしれない。化野はというと。こっちを見ていた、淡々と。
どうしてだか分からないが、哀しそうな顔で。途端、緊張の糸が切れたように意識を手放し、暗転する。✦✦暗闇、静寂。星一つない、無意識の宇宙空間にいた。目を開けないで、ただただ心地の良い浮遊感に身を任せて漂っていたかった。ここがどこだか分からないが、居心地が良かった。
かと思えば、次の瞬間、場面が切り替わる。
俺は何もない空間に立たされていた。その空間には誰一人として存在しない、そう思っていたが、暫くすると霧が晴れるように姿を表す影。ぽつりと一人、見知らぬ男の子が佇んでいるのが見えた。「ここ、どこだろう……」
「どうしよう、早く帰らないといけないのに」彼の独り言は、遠くにいるのにここまで聞こえてきた。脳髄に響く柔らかい声。それに相反して不安そうな表情を浮かべながら、辺りをきょろきょろ見渡した後、俺の存在に気付くと、走って近付いてきた。「えっと、あの。」彼はどうしてかすごく焦っているようにも見えた。どこかへ行かなきゃいけない用事があるのに道を間違えてしまって迷っている、そんな様子だ。「君、ここがどこだか知ってる?」その問いに首を横に振れば、「そう、だよね」と、項垂れる彼。俺も彼と同じように、ここがどこだか分からなかったし、それに嘘をつく必要もない。素直に答えると少しだけ安堵した表情を見せる。「そっか、君も同じなんだ、」と。「早く帰らなきゃいけないんだ。きっと、父さんと母さんも心配してると思うから」その言葉が、少しだけ胸に突っかかる。彼には彼のことを心配してくれる両親がいる、ということだ。だけど、俺には……。「名前は、なんて言うの?」彼の言葉に意識がハッとする。名前……彼に聞かれたのでそのまま答えると、一瞬だけ驚いた顔をしていた。「俺もね……」そうして彼も名前を教えてくれたが、何度聞き返しても、彼の名前だけがどうしても聞き取れなかった。「……あのさ、ずっと一人だったから、心細かったんだ。だけど、君がいてくれてよかった。」そうして彼は少しだけ安堵した表情を見せる。ぽつりぽつりと、しばらくたわいもない会話を交わす。優しくて穏やかな時間が流れていった。しばらくしてから気付いたのだが、ここがどこだか、漸くわかった。
これは夢の中だ。そして、なぜか全く身に覚えもない、知らない人のことを友達だと思ってしまう現象は、夢の中ではよくあることだ。
そこに、あるはずの無い薄らとした白い光がぼんやりと浮かんでいた。暖かい光だ。俺は、その光に本能的に手を伸ばそうとする。その時、「ま、待って、」「行っちゃうの」と、彼が俺を引き止めてくる。
どこか悲しそうな顔をしていた。俺はこの光の存在を話すが、彼には見えていないみたいだった。「……また、俺と話してくれる?」返事はしなかったが、なんとなくその場で頷いてみた。彼はホッとした表情で「ありがとう」と言い、俺の姿を見送ってくれた。
自分なんかよりも元いた場所へ帰りたがっている彼の前で申し訳ないとは思うが、どうしてか、俺はそれに触れなきゃいけないみたいだったし、触れない以外考えられなかった。それに触れるとその光は目の前で溶けてなくなる。夢の終わりをゆっくりと告げるように。✦✦00話 出逢い《終》公開日 2025.05.01
───────01話 転校生目蓋をゆっくりと開ける。あまりの眩しさに眉間に皺を寄せながら横目でそれを視界に捉える。白い光の正体が、何か分かった。それはカーテンの隙間から柔らかな朝陽が射し込んで、部屋の窓のガラスから屈折して反射しているだけだった。見慣れた自室の天井。カチ、カチ、と数分のズレもなく秒針を刻む時計。いつも通りの朝がそこにあって安堵した。……なんて、何考えているんだろう。そんなのは当たり前のことで、何を疑問に思うことがあるのだろうか。ああ、そうだ。昨日の夜の出来事を忘れられるわけがない。朦朧とした記憶の中で、なんとか一つ一つ思い出していく。ベッドの上で何度も思考を巡らせては、嫌な思考が渦巻く。
そうだ、昨日の出来事は。あれから一体どうなったんだろう。いつ自分はこのベッドの上に移動したのか、そしていつ寝巻きに着替えたのか。どうしても、何も思い出せないが、もやもやして気持ちが悪かった。
ただ確かなのはこの目で、あの存在を確認したこと。長い夢でも見ていたのかもしれない。いや、例えあれが夢であったとしてもあまりにも悍ましく二度と見たくない悪夢だ。なのに、嫌な汗一つかいていない。そんなことより、彼は。いつからいつまでが夢だったんだろう。久しく眠れた夜で清々しい朝だった。いくら思考を巡らせていても何も始まらない。
〝普段通りであればいい。〟何も望まない。今はそれだけあればいい。今まで通りの平穏な生活を送りたい。他に何もいらないから。
そう祈りながら、自室を後にする。とりあえず朝食を食べよう。いつも通りの朝なら何も起こらないはずなんだ。
そんな淡い期待を胸に抱いたのも虚しく、早くも打ち砕かれることになる。漠然とした不安の中、覚束無い足取りでリビングに向かうと、そいつは平然と寛いでいた。そして何事もなかったかのように、「おはよう」と挨拶をしてくる。
絶句してしまい、まともに返せなかった。
思い出したくない記憶が一気に蘇り、不快感だけが残った。俺は化野と約束を守ることの交換条件にしばらくの間家に住まわせることにしていたんだ。
宇宙人と一緒に住むなんて最悪な気分だ。
過去に出逢ったあの宇宙人とはまた違った個体なのだろうか。触手を持つこの謎の生命体の恐ろしさを自分が一番よく分かっている。思い出して、無意識のうちに右側の額にある傷口に触れていた手をゆっくり下ろす。
絶望したところで昨日起こった事実が変わるわけでもない。こんな心情を安易に一度でも見透かされてしまえば一生漬け込まれる。宇宙船が直るまでの間だ。そこまで我慢して、今はただそれを淡々と受け入れるしかない。アダシノ。確かどこかでそんな名前を耳にしたことがあった気がしたが記憶違いだろうか。……思い出せないから仕方がない。そう大きく溜息を吐くと、
「溜息ばかり吐くと幸せ逃げてくよ」
そう椅子に足を広げて凭れ掛かり、ギコギコと音を鳴らしながら文句を言われたが、余計なお世話だと思った。✦化野はそのまま家具を、主に電化製品を見ながら俺に話しかけてくる。「地球って面白いよね。これなんか気に入ったよ。地球上のどんな物質で作られているの」と、埃の被った携帯ゲーム機やら、小型の家庭用ゲーム機を勝手に取り出して外に出していた。それは久しく取り出していないもので、思わず顔を顰める。ゲームもそうだけど……そんなものより……もしかして、クローゼットの中を化野に見られたってことなんじゃないよな。「人のクローゼット勝手に開けるな。」
「え だめだった」むしゃくしゃして、化野の手に持っていた携帯ゲーム機をバッと取り上げる。埃が舞ってげほげほと咳き込む俺を見て呑気に「大丈夫?」と聞いてくる。それを睨むと、少し、申し訳なさそうな顔をしながら化野は「あわあわ」とわざとらしく言いながら、俺に質問してくる。「じゃあこっちは」
「え、あ」
「何に使ってるの」化野の持ってる物を見ずに奪うと「あ、」と声を上げる化野。それを反射的に奥へ投げ捨てる。「だめなんだ」と、くすくす笑っていた。「安心してよ」
「なんだ」
「なんにも見てないよ、なんにも」
「……」絶対に見ている口振りだった。俺の反応を見て「もうしないよ」と言っていたが、こいつはきっと、俺の反応を面白がっているだけなんだと気付いた。「もう答えないからな」化野は俺の顔をじっとり見てくる。きっと、関わっていても碌なことがない。条件に勝手に覗くなを追加した方が良さそうだった。リビングへ戻ると、化野も背後をついてくる。俺は別にお前に部屋案内しているわけじゃないんだけどな。そうして同じタイミングで椅子に腰掛ける。丁度トースターからトーストが焼けた音がし、取りに行く。
冷蔵庫からバターを取り出して、こんがり焼けた食パンにバターを塗るとじゅわっと溶けていく。その様子を見て、「それ、人間の食べ物」
「ああ」化野は俺の食べる姿に興味津々だった。まじまじと見られてしまい、食べ辛かった。「少し待て」
受け入れたのなら、腹を括るしかない。宇宙人がお腹空くのか分からなかったけど焼いて渡してやった。教えてやるか、これが〝おもてなし〟だ。
早く星に帰れ。「いいの」
「別に。いらないなら、俺が」
「や、いらなくない。ちょうだい」ここまでする義理なんかないが、勝手に死なれても困る。でも、まだ宇宙人に対して分からないことが多すぎる。それが宇宙人が食べていいものかも分からないのだが、化野は嬉しそうに受け取ると俺と同じようにバターを塗りたくっていた。「はは、おもしれー」
「食べ物で遊ぶな」熱で溶ける固形物の様子が謎に面白いらしい。化野の、おもしろ着眼点がよく分からない。化野は興味を示すものと示さないものの違いがよく分からない。その後は口に運ぶ動作を真似していた。ご飯でも、同じことしそうだと思った。そうして他愛もない話をしながら、化野は色んなものに興味を示すように机に突っ伏しながら、指を指す。「このデカいのあれよな、テレビだ」
「……」
「入間は?テレビしないの?」
「俺は、あまり」
「そう」最近は、スマホのアプリや動画投稿サイトなどでお手軽に情報が手に入るからテレビを見る習慣はなくなっている。テレビの存在は、半ば忘れかけていた。それはきっと誰かと一緒に見る必要がないからで、一人で観るならスマホで事足りてしまうからだ。寧ろスマホで確認した方が、見たい情報だけが確認できて何かと便利なのだ。化野は暇そうにくるくると机に指で何かをなぞっている。……そうだな、たまには点けてみよう。液晶テレビを点けると、視界に飛び込んできた情報に心臓がドキッとする。見たことがある景色。いいや、俺の見慣れた街、南月影市がニュースに流れている。地方の番組でもない。全国的なニュース番組で、昨晩この街で事件が起きていたことが大々的に報道されていた。頭がぐらぐらした。息を呑む。内容は〝数分の間で数十人が意識不明の重体の状態で見つかった。というもの。無差別大量殺人。電波ジャック。複数犯による犯行だとも囁かれていた。
依然として証拠は何もなく、現場に残された犯人の手掛かりすらもない。そんな事件がこの家の付近で起こっていた?思考を巡らせ昨晩の出来事を整理する。「そんな、昨晩の内にこの街に……?」嘘みたいだ。フェイクニュースなのではないか、と目を疑ってしまうが。しかし、これはテレビで全国的に放送されているもので、より現実味を帯びてくる。
数時間前に遡る。俺は気付いていなかったがあの日の夜、同時刻にこの街とは別の場所で事件が起きていたというのだ。あんなに静かだったのに。何人が亡くなったんだ。確認されただけでも、数十人。室内に確実にいるだろうと思う人物は外に出ない限りは大丈夫だろうと思いたい。そうなると何よりも心配なのは。「江國、緒環……」幼馴染の存在だった。あの二人がもし被害者になっていたら。もし二人に何かあったら。数年話してないけど、二人が住んでるのは隣の地区だから、この場所の付近に偶然いない限りあり得ないと思いたいけど、別にこの場所から遠いわけでもないのだ。「うん?誰それ」化野は俺に聞いてくる。化野は二人のことは知らないだろうしな。「昔、よく仲良くしてもらった人たちだ」
「仲良かったんだ」
「……ああ」
「心配?」心情を読まれてるみたいだった。俺はその問いに小さい声で「まあ、」と答える。不安なのがそんなに表情に出ていたのか、と思ったら恥ずかしくなる。化野はそれを見て、うんうんと頷いている。「じゃあ、入間は話したいね」その人たちと。と付け加えながら、化野は椅子に凭れ掛かる。思えばこの事件、俺が化野と遭遇した時刻と丁度重なる。この事件について化野に何か見ていないか聞いてみたが、化野からの返事は「見てないな」と、そう言い放つ。淡々としすぎている。まあ、そうだよな。宇宙人にとってはこんな事件、脅威でもなんでもないだろうし。化野はそしてニュースを横目に何事もなく見様見真似で、先程のトーストを口に運ぶ。……待てよ。化野がここにきた理由は宇宙船が壊れたからだが、あまりにもタイミングが良い。無関係なんて方がおかしいと思えるくらいだった。そうなると、余計に化野への疑心暗鬼が募る。ここに存在していること、それだけで怪しく思える。いや、まさかな……俺が、化野のことを疑いすぎているだけなのか。仮にもし化野が犯人だとしてもそんな簡単に話すわけがない。いや疑いたくはないが、疑わざるを得ない。あんな、血塗れの姿見たら。化野はその後、トーストに飽きたのか、手持ち無沙汰でリモコンを眺めていたり、自身の爪を見ていたり、真剣にニュースを見ていたりした。
正直なところ、化野がこの事件に少なくとも関与していると思ってしまうが、確たる証拠が何一つない。それは自身の記憶すら定かではないことと、化野を犯人だと言うにはあまりにも物的証拠すら持ち合わせてないから。昨日化野は確かに血塗れの姿で俺の前に現れた。〝あいたかった〟……あの声も、確実に化野そのものだった。あの騒動に紛れて逃げてきた可能性もある。被害者の可能性もあるが、それなら今、わざわざ知らないフリをする必要がないもんな。化野にとって人間が脅威になることなんてこと、あるのか。暫く、化野の様子を見ていたが、まるで何の興味もないといった様子で怠そうに椅子に凭れ掛かってニュースを淡々と眺めているだけだった。そればかりかどこか他人事のようだった。化野は俺の視線に気付いたのか、至近距離まで近付いて目を合わせてきた。驚いて反射的に身体がビクッと仰反るように反応する。「もっと近くで見たいの」と、そのまま目を細めて微笑まれたが、全然的外れで、そんなことなかった。むしろ視界の8割がお前って感じで、すごく邪魔ではあった。「でもさ、分かるよ。こういうの朝から見てると気が滅入るし、不安なるもんね。」化野、この事件に関与していないよな。そう聞こうとした時だった。時計の針を確認して焦る。そうだ今日は少しだけ早めに登校しなければいけない。俺は生徒会長を務めることになった。新学期には全校集会があるからだ。その時、化野が横から話しかけてくる。「どこ行くの」
「学校」
「俺も行きたい」
「それは無理だ」
「無理じゃない」
「……。」
「大丈夫俺に任せて」化野は俺と同じ学校に通いたいと言い出し、転校生として新学期から同じ学校に通うことになった。
正直、こんな不信感を残したまま目の届かないところで何かをされたらたまったもんじゃない。俺は化野を監視する必要がある。
昨晩の事件は全国的なニュースになり、大々的に取り上げられたものの、全校集会で集団下校の指導が入るだけで、生活に大きな変化が起こるわけでもなかった。南月影市の事件現場付近の高校は、今俺が通ってる月世高等学校学校と、エリート校と名高い名門の星彩学園だけだった。✦✦「よし、新学期からこのクラスの仲間になる転校生を紹介するぞ」黒板にこれでもかとデカデカと名前を書き出す。「後ろの人見える?あだしの。あだしのでいいよ。漢字だとこうだよ。化野。みんなよろしく」黒板消しで豪快に消す。チョークの白い粉が舞い、担任は酷く困惑していた。
「化野、名前は」
担任の動きがぴたりと止まる。どこか様子がおかしく、名簿を何分も凝視していた。「呼ばなくていいよ、せんせ」クラスは騒つく。「化野、」担任の言葉にただ「うん」と頷くばかりだった。正直変なこと言い出しそうで見ていてヒヤッとするが。「突然この街に引っ越しすることになったらしいから、みんな仲良くしてあげてくれ。」
「だってさ。」
なんて先生に合いの手を加える。なんで他人事なんだろう。「まあいいか……自己紹介も済んだな。よし、じゃあ今日から化野の席はあそこだな」
「はいせんせ」教壇を降りてスタスタ歩いていく途中、とある席を横目で見ながら化野はピタリと静止する。そのまま俺の隣の席の女子生徒に耳打ちする。
「ね、後で席代わって」
そういうと、隣の席の女子生徒は少し動揺したあとで「えっと、私は別にいいけど……」と二つ返事するのだった。
本来の化野の席が、最後列の特等席だから嫌がる理由がなかったのだろうか。化野はその後、「色んな事情があってここに引っ越してきたから、教科書持ってなくてさ。教科書届くまでは入間に借りるって話してるんだよね。ほら、その間隣の子に借り続けるの悪いしさ」と説明した。なんで俺が化野に教科書を貸すことが前提条件にあるのか俺自身も分からない。席を交換した女子に「悪い、超助かる。ありがとう」と、笑顔を向ける。感謝を伝えられた女子は気にしないでと寧ろ喜んでいた。それは確かに一応理に適ってはいる。化野が自己紹介を無事終えることが出来ただけで安堵してしまった。✦何をしても完璧で、愛想が良く顔も整っている化野は、転校初日からすぐにクラスに馴染んでいた。俺が心配する程のものではなかった。化野は、何をしてもなんでも出来た。いつもどこか飄々とした態度で余裕そうに笑みを浮かべていた。化野がすることなす事、何をしても全てが上手くいく。鼻に付くくらいに。その姿はなんだか化物じみていた。実際、異星人なのだが。ただ、数日が経過した後で少しずつ分かったこともある。俺と同じように理系科目が得意で、文系科目がダメなことだ。美術などの技術系においてもとことんだめだった。なにより文字があまり上手くない。それで点を落とすなんてこともあった。箸を持つのも上手ではない。物をよく落としていた。ページを捲るのでさえ手こずっていることがある。それは宇宙人だから、そもそも地球のこういう道具を持つ文化自体がないのかもしれない。「入間」
「なに」
「ここ、答え違うね」
「そんなわけ……あっ」寧ろ、化野の方が俺よりも勉強出来ていたのが悔しかった。化野は俺よりも計算が早く、理系科目において、とんでもない才能を発揮していた。それだけではなく、化野は突拍子のないことを言い出す。「物理のせんせ、体調崩してるから、午後の授業自習になると思う」
「明日の天気予報大きく外れるから、傘は持っておいた方がいいね」
「花瓶が古くなってる。早めに変えた方がいいよ、割れたら危ないし」突然そんなことを言い出すもんだから、最初はみんな半信半疑だった。だが化野の発言は嘘のように当たる。まるで預言者みたいだとクラスの生徒は化野の周囲を囲い出す。宇宙人はそういう予知までできるのかと、そう化野に聞いてみても「いや」と首を傾げて不思議そうにするだけだった。「なら、全部偶然か」
「俺に興味持った?」
「……」
「知りたい?俺のこと」
「別に。ただお前の行動が不自然だから、何か企んでるんじゃないかと思ったんだ」
「どうかな。もっと俺のこと知りたいなら、もっと一緒にいなきゃな。」化野は「はは、」と力無く笑う。俺を揶揄うように見た後で、椅子の背凭れに寄り掛かってボーッとしていた。その姿はあまりに自由人すぎた。いつもはぐらかされて、全く話にならない。いつももやもやとした疑問だけが残る。「化野も、入って入って!」そうやって半笑いでカメラを構えられていたけど化野は「なんで」という疑問も、何一つ文句も言わず、だけど生徒に見向きもせず淡々とこなす。クラスの人間とも、上手く打ち解けていた。俺よりもずっと生きるのが上手かった。化野は俺の方を振り返ると、手でこっちにおいでしてくる。「おいで」俺はいい……首を振って断ると、ようやく諦めてもらえるが、化野はいつも一頻り人間に構った後は決まって必ず俺に話し掛けてくる。
だからだろうか、「化野くんと何か深い関係があるの?」と質問責めされる毎日でいい迷惑だった。化野の近くにいることで、結果的にこっちも被害を被っている。だからもうこっちに来るのは正直やめてほしい。せめて、校内では関わらないで欲しかった。「来ない?」
「あまり得意じゃない。目立ちたくないんだよ、だからやめてくれ」
「そうなんだ」化野はそうやって、なんの迷いもなく聞いてくる。「どうして?」みたいな不思議そうな顔をされる。そうだな、分かるわけないよお前なんかに。✦移動教室なのに教室に化野が一人でいた。机の上に座って何をしているのか。それとも移動教室の意味を分かってないのかもしれない。……あまり二人きりになれる瞬間がないから今伝えておくのもありだ。先程のことを忠告しようとして化野の肩を叩こうとした時、化野は俺の心を読んだかのように先に口を開いた。「入間、目立つの嫌じゃん。だから俺が代わりに目立ってあげようかなってさ。」俺の姿なんか何一つ見ずに俺の気配を察知したのか、化野は机からガタンと降りると、突然くるっと背後を振り向き、目が合う形になる。余計なお世話だった。そう言うよりも前に化野は、ズンズンと躊躇いもなく俺の顔の直前まで近付いていき、そのまま胸部に指先を充てがう。人差し指の腹で這わせるようにゆっくりと胸部へ撫でた。それだけで全身が固まって動けなくなった。息が出来なくなる。「……ッ」下から上へ這うようにぬったり触られ、あまりの気持ちの悪さに全身に鳥肌が立つ。化野はその様子をじっとひとしきり見た後で俺の胸ポケットからゆっくりスマホを取り出し、誰かの席の椅子にズンと触ると、そのままゲームをし始めた。化野には俺の行動全てを見透かされているようだった。その時、別の生徒が教室に入ってくる。「会長、突っ立ってどうした?」
とクラスメイトに聞かれ、硬直していた身体がビクッと反応し、ハッとする。「化野、移動教室」
「一緒に行こーぜ」「うん」他の生徒に話しかけられて席を後にする。去り際に、「続きはおうちでね、」と、耳打ちされて横を通り過ぎていった。反射的に鳥肌が立った。化野は、俺の嫌がる反応を面白がっている。だから反応するだけ相手の思う壺だ。……だから。だから宇宙人は嫌なんだ。化野は知的生命体で、まだこうしてまともに会話が出来るから少しだけマシだと心の中で錯覚してしまうだけで、実際のところ人間じゃない。異星人だかなんだか言われても、宇宙から来たことに変わりない。化野がもし別個体だとしても、俺は宇宙人という存在を好きにはなれない。そもそも化野が本当に異星人なのかすら怪しい。ただ化野のことを宇宙人だと周囲にバラしてしまえば、なんだか俺まで共犯者みたいになるような気がして何も言えなかった。宇宙人だと言って信じて貰えないことぐらい分かっている。逆に俺が不利な状況になることを、今更になって悟ってしまった。それでも、殺されるよりマシだった。こいつが約束を守る補償なんか何もない。なんであんな契約みたいなことしてしまったんだ。こんなんだから、いつまで経っても俺は……。その後も化野は従兄弟だと平然と嘘をついていたが、面倒くさいからそのまま話を合わせておいた。化野はこの学校で唯一学ランを着ていたからかとても目立った。相変わらず周囲にちやほやされても特に感情を示さなかった。まるで当たり前のように、空気のように、かわしていた。群衆を掻き分けて化野が話しかけてくる。性懲りも無く今日も「入間も一緒にお昼食べよ」という誘いをしてくるが、断っていた。せめてお昼の時間くらいは一人でいたい。今の化野といればもれなく他の奴らも一緒に付いてくるだろうし大人数が苦手な俺は、鬱陶しくも思っていた。✦そんな日々が続いたある日、四月も中頃を迎え、桜も散り、新緑が深まる頃、化野が俺に聞いてきた。あまり一緒に行動しないから化野の学校での様子はあまりよく分かっていない。けど、化野は学校生活を上手くやっていけてるし、何不自由なさそうに思えたから正直心配はなかったのだが。「どうして俺と一緒に食べてくれないの」それは。恐らくお昼のことを言っているんだろう。なんだそんなことで、みたいな悩みだ。
分からないのか。分からないんだろうから聞いてくるんだろうな。そう聞かれたら素直に伝えてやった方がいいのかもしれない。「誰かと一緒に食べたいなら、他の奴と食べてくれば良いんじゃないか。別に俺じゃなくてもいいだろ、そんなの。」正直どっちでもいい。どうでもよかった。
そう言うと、化野はそれを聞いて笑っていた。不敵な笑みを浮かべながら。「ああそっか、こういうのじゃあだめか。だめなら別の方法があるよ。」
そう言って逆方向に歩いていった。✦───あれから、約一ヶ月が経ち、五月に入ろうとしている。化野は学校にも慣れてきたようで、しかし相変わらずクラスの人気者だった。人間の生活にもすっかり馴染み、溶け込んでいた。その日の体育も、目が合えば歓声が上がる。いくら走っても疲れたという表情すら見えない。全くスタミナ切れという概念すら無いと言わんばかり。化野は何をしてもずっと楽しそうだった。はあ、はあ。なんだよこれ、これが宇宙人か。宇宙人を前にしたら人間は弱いのか。いや違う、俺が弱いだけだ。「入間、おつかれ」息を切らした俺の前に、周囲などお構いなしに平気で近寄って話し掛けてくる。いい加減やめて欲しかった。それでも化野には、ずっと周りなんか見えてないみたいだった。……何を言っても変わらないんだ。面倒になった。もはや、気にする必要なんてもうない。グラウンドから教室に戻り、休み時間になった。相変わらず化野の机の周りは人で囲まれていた。化野は気にせずゲームをしながら応答する。しれっと俺のスマホが勝手に盗まれていた。
その発言もまた即席ででっち上げた嘘なのだろうか。宇宙人には過去も家族構成もない。家庭環境に難がある、可哀想な人間を演じている。仕方ないにしても罪悪感くらいあってもいいだろう。そんな時、聞き馴染みのある声が聞こえた。それはもう、数年ぶりだろうか。一瞬、自分が呼ばれていたのかも分からなかった。だけど。「いーくん!」俺のところに駆け寄ってくる人物を、視界に捉える。違和感。この視界に収まっているもの全てが歪とさえ感じる。そんな錯覚に陥る。この瞬間だけ時間がゆっくり過ぎていく。音が遮断されて耳に入ってこない。脳が錯乱しているのだろうか。なぜならそれは、絶対にこの場所で見ることのない姿だったからか。その直後だった。視界の端に化野が来ていた。化野が笑顔で近付いてくる。なんだ。俺の視界には化野の姿があった。それを見ていた。ただ見ていた。「はは、みっけた」次の瞬間、ガタン、という激しい音が教室中に響き渡ると共に、その人物は床に倒れていた。それとほぼ同時に、教室に叫び声が上がる。一瞬の出来事だった。一瞬視線を外した瞬間だった。あまりの光景にクラス中が戦慄し、化野から離れていく。そして何よりも、化野は卯崎の前にしゃがみ込んで、もう一度、追い討ちをかけるように手を振り上げたからだ。「化野!」咄嗟に俺が名前を叫ぶと化野は少し止まる。その隙に、俺は化野の手を掴んで取り押さえた。次の瞬間、その掴んだ手を握り返される。何をされてるのか分からなかった。ただただ、不快だった。俺は咄嗟に化野を掴んで、バッと手を離した。こんな時に、何をしたいんだ。一瞬、呆れと恐怖で何も考えられなくなった。今はただ、状況を理解するのに精一杯だった。化野が下級生の女の子に突然暴行したのだ。まさかこんな騒動が起きてしまうなんて。教室の中心で起きたそれに、周囲は蜘蛛の子を散らすように化野から離れてゆく。化野は、明らかに普段とは様子が違った。少し感情的で表情には分かりやすく動揺が現れていた気がした。
普段のあの余裕のある表情とは一転、今まであんなに表情一つ変えなかった化野が。行動理由は何も分からなかった。初対面なのだから。ちょうど一瞬、目を離した隙、しっかりと捉えられていなかったが、恐らくきっと、彼女の頬を、化野は思い切りなんの躊躇もなくぶっ叩いたんだ。そしてその勢いで体勢を崩した彼女は、そのまま床に蹌踉けたのだ。
人がその場に倒れるくらいって一体どのくらいの強さなのだろうか。もし机の角が頭に当たっていたらどうするつもりだったんだ。すぐに化野を止めたが、改めて動揺しているのは俺も同じだった。
そこには卯崎がいたからだ。「卯崎、」ここに、いるはずのない従妹の存在があったからだ。
卯崎は、俺の一個下の従妹で、数年前に宇宙人に襲われて以降、植物状態になって入院しているはずなんだ。だからこんなに動けるはずがない……だから、これは。江國が話していた、あのクローンなのだ。事の経緯を説明すれば長くなるが、卯崎は幼少期から病弱で足が不自由。友達もおらず、学校にもろくに通ったことがなかった。その日は、七夕に満月という数十年に一度しかない奇跡の日だった。高校一年生の七夕に両親の代わりに親戚である入間が外出許可を得て満月を見に行こうとしたが、そこで宇宙人に襲われてしまった。そして卯崎だけが重傷を負い、そのまま植物状態になってしまったのだから。
……俺はその日のことを一日たりとも忘れたことなんてなかった。「うう……ごめんね。貴方も、あの、……びっくりさせちゃったよね……」俺は卯崎の元に駆け寄ると、卯崎は変わらない笑顔を見せてこう言う。卯崎は突然暴行を振るわれた被害者なのだ。それなのに、思いやる心があると言うのだから。だけど、その肩は恐怖で震えていた。泣くのを我慢するように唇をぐっと噛んでいた。その後、化野に向けられていた視線はすぐに俺の方を向いた。俺は卯崎とバチっと目が合う。「……そうだ、あ、あのね!」俺と目が合うと慌てて立ちあがろうとする卯崎だったが、足を崩してその場に転倒してしまったのだった。その足首は、まだ歩くことに慣れてないとでも言うばかりに、変な方向を向いていた。
卯崎はそれを隠すように手で覆っていた。目は泳ぎ、必死に、言葉を探しているようにも見えた。見ていられなかった。一体、何が起こっているのか。その場に居合わせた生徒は状況を把握できずにいた。卯崎は、ずっと俺に何かを伝えたそうにしていた。その時偶然先生がその場に居合わせ、騒動は一旦収まった。
卯崎はそのまま教師と一緒に保健室に行き、化野も連れて行かれていた。教室は静まり返り、そうしてまたガヤガヤと賑わっていく。何事も無かったかのように着席し、授業が始まった。その後、化野は戻ってこなかった。✦俺は、江國から話されたことを思い出していた。数日前に遡る。俺はあの日、化野に出会ってから、ずっとずっと咲紀のことを思い出していた。俺は毎日、時間があれば咲紀が入院している病院に通っていた。それが俺の日常だった。あの出来事が起きるまで。今はもうあの病院に足を運んでいない。もちろん忙しいのもあったけれど、それだけじゃなかった。卯崎は、きっと、俺のせいで。申し訳なくて、それに、俺が病院に行くと看護師さんや周囲の人からヒソヒソ何か言われているような気がして、居心地が悪くて行くのを躊躇っていた。あれから二年以上が経つ。俺も高校生になって、来年卒業式がある。咲紀はずっと、今でも目を覚まさないまま、そうだと思っていた。その時、「さきちゃんのことで話したいことがある」そう江國から連絡がきて、俺も咲紀のことがずっとずっと気になっていたから。俺にもきっと知る必要がある。病院に向かうと、幼馴染の江國がそこにいた。「入間くん、来てくれてありがとう。」江國は俺の幼馴染だ。いつ見ても綺麗だと思う。
そこで江國から、クローンの研究に成功したこと伝えられる。最初は何を言われてるのか分からなかった。にわかに信じ難い、それはあまりにも突拍子もないことで、耳を疑うような話だった。これは江國の父親の研究の手掛かりとなる大きな進歩であり、人類にとって、今後大きな第一歩となると話す。しかしこれは試験的なもので、今後、人を傷付けないで治験を行えるような、医療に役立つのだとか。もし本当に成功したのであれば、成功例として、そしてこれから賞を受賞するのだとか。だからまだ世間には知られていないものだという。今後出逢う彼女は卯崎を元にして作られたクローンで、今はまだこの肉体に適応できるか不定であるとして、オリジナルの脳信号を受け取って動いてもらうように受信装置を着けているらしい。
江國は神妙な面持ちで口を開いて「手術が成功して治ったことにしていて欲しいの」と協力をお願いをした。そして、卯崎の脳からいくつかの記憶が無いことを同時に話される。一つは、植物状態になる直前の記憶。
二つ目に、子宮を失った原因と、そして自傷行為をする元となった記憶。
「肉体に残されていないのだから、これらは必要のない記憶だよ」これも、肉体と記憶の齟齬を無くす為だと言う。
江國は背後を振り返りながら「入間くん卯崎ちゃん。辛かったね。でもこれからの人生、二人には前を向いていて欲しいから。」と、そう言い残して部屋を後にした。卯崎の夢は学校に通って、友達をたくさん作ることだった。卯崎には、俺と同じ学校に通えるくらいの知能があり、特別な許可を得て通っていた。その辺の事情は、江國が関与していそうだった。そうして齟齬がなくなればいずれ、脳移植などを検討する予定だという。可能性は捨てきれないが、少し恐怖を感じた。「永遠の肉体を手に入れられたら、人間は宇宙をも凌駕できる、そんな時代が来るかもしれないね。」なんて、恐ろしい話だと思う。江國の父親が有名な研究員だというのは聞いていたけど、一度も顔を見た事がない気がする。江國が何を研究していたのかもすら知らなかったから。……現実味がなさすぎて、夢みたいな話だ。何一つ受け入れられる準備なんて出来ていなかった。つまり、あの場にいたあの子は卯崎のクローンなんだ。実際、卯崎を目の前にしても、脳が処理出来ていなかった。✦化野は騒動後、案の定孤立した。あまりにも心が読めなさすぎるところが、まさに「宇宙人みたいだ」と言う輩も出てくる始末だった。それはそうだろう。転入して早々、後輩の女の子を転倒させるような奴だ。以前のように話し掛けてくる奴は疎か、いじめてくるような勇敢な輩も現れなかった。これが本当の孤独だろうか。化野に話しかけられた人は、みんながみんな怯えた。最終的には無視をし始めた。
そして、この時の騒動はクラス内だけでは留まらず校内に広まっていき「女の子に手を出した男」から「女の子に見境もなく手を出す男」のようなやたら捻じ曲がった解釈の内容の噂が広まっていった。こんなレッテルを張られてしまえば、前を向いて歩けないだろうと思ったが化野は堂々と廊下を通っていくのだから、心などないのかもしれない。要注意人物に「学ラン着てる男はヤバい奴だから気を付けろ」だけが歪曲して伝わっていった。化野だけがこの学校で学ランだから余計にだろうが、学ランが思っている以上に悪目立ちしすぎていた。幸い、被害者である卯崎が「びっくりさせちゃったから、自分にも非があったから…」と、全く悪くないにも関わらず化野を擁護したお陰か、謹慎処分にはならずに済んでいるというわけだった。
こういう奴は一度痛い目に遭わないといけない気もしたが、被害者本人がそういうならと、その場は収まってしまった。当人同士で解決されていても噂というものは一生消えることはない。全てが自業自得だ。情状酌量の余地もない。女子生徒に酷いことをしたのだから。大勢の人間から非難を浴びたことは言うまでもない。
たまたま教室を通りかかったら化野を囲っていた人たちは姿を消していて、そこにはポツンと黒があった。
いい気味だと思った。だけど化野は、どれだけ孤立しても非難されても、相変わらず何一つ表情を変えず、周囲を気にも止めず、いつも通りだった。その心の内側が何も読めなかった。
それどころか怒りも悲しみも虚しさも、今何を思って何を考えているのかも何も分からなかった。いつも少し、遠くを見るばかりだった。その後、一人のクラスメイトからこんなことを言われた。
「生徒会長がいなければ、もっと酷い状況になってた。勇気を持って止めてくれてありがとう。」
そう言われた。
そんなこと言われても、なぜだか素直に喜ばなかった。あの場を収めたのは、本当に俺だったのか。俺は確かに止めた。俺の声で化野が止まった。だけど化野なら俺の腕を払い除けることも出来ただろう。触手の威力を知っているからか、あの時、明らかに力を抜いていたことが分かった。わざとかと思ったぐらいだ。
疑問なのは、あんなに周囲に興味すらなかった化野が、なぜ卯崎にだけあんなことをしたのか。思えば、俺はまだこいつのこと何も知らないな。
化野のこと、そして卯崎のこと、この街に起きていること。
この数週間の内に目紛しく過ぎる日常に心がついていくのがやっとだった。まさかこれが、高校最後の春になるのだろうか。それはなんだか、最悪かもしれない。「入間、一緒にお昼食べいこ」それがさも当たり前みたいに、そう昨日と同じように笑いかけてきたから、無視しようと思った。なあ、本当に反省しているのか。あんな凶暴性を見せ付けられたら、やっぱり人間にとって害のある生物であることは確かだ。こんな奴と仲良いことで、周囲に何か思われるのも嫌だった。だけどその前に一つ聞いておきたい事もあったんだ。「あんなことがあった後で、よくものうのうと話し掛けてきたな。」
「だめだった?」
なんて聞いてくるもんだから、ちゃんと言ってやるしかない。
「約束、破ったな。どうしてあんなことした。」
「どうして」
化野は少し目を見開いて、真っ直ぐに、淡々と見つめる。感情が全く読めない。
「人を傷付けないって言ったはずだぞ。守れそうにないのか。守れないのなら、家から出て行ってもらうが」
「入間がそう言うなら、そうする」それを聞くと少し俯く化野。その、いかにも反省してます、みたいな態度にも飽々だ。化野は質問に答えたくないのか、子供みたいに突っ立って口を噤んだままだ。卯崎に対してあんなことをするなんて、何かの間違えだと思いたかった。でも、実際に起きてしまったことなんだ。「卯崎が、お前に何かしたのか」
「ううん」
「どうしてあんなことしたんだ」
「……」
「どうしても言えないのか」なんだ、それ。溜息が出る。手を差し伸べてもこのような態度を取り続けるようなら、誰もお前のこと救ってくれる奴なんかいなくなるだろう。「俺はお前のこと許せないと思う」
「分かってる」許せないことを許してくれ。分かるだろ……それは、きっと。俺がもしその立場になった時、俺がそうして欲しいからだ。「迷惑かけてごめんね。関わらないようにする。入間にはもう、迷惑かけないから。」化野は目を逸らさないまま淡々とそう言い放ち、俺の横を通り過ぎようとする。違う謝るのは、俺にじゃない。……でも、まあ。「いいよ」化野が振り返る。俺はきっと甘いんだろうな。それに、俺は人混みも大人数も好きじゃないし。それに少しはコイツも懲りただろう。何かあれば俺が叱ろうか、とか人が良いことをするつもりもないけど、周囲に人がいない今は以前より幾分もマシに感じた。別に、化野の為とかじゃない。「入間、」
「今日だけな」化野は俺の返答に、目を細めて笑顔を向けていた。その日、最初で最後。俺は初めて校内で化野と一緒にご飯を食べた。✦「化野」
「なあに」
「俺も一緒に行く、だから謝りに行くぞ」だからといってこの一件を許しているわけでも、卯崎にしたことを無いことにするわけでも、もちろんこいつと一緒にいたいわけでもない。でも、あの時の宇宙人のことが許せない。だからこそ俺は、分からなくちゃいけない。宇宙人のことを、化野のことを知らなきゃいけない。何を考えているかも分からない状況で、野放しにしたらどうなる。誰かが殺されるかもしれないし、もっと最悪なケースが起きるかもしれない。「分からなくなったら、また教えてやるから」俺がいることで、化野の行動を制限出来ているのは確かなんだ。卯崎に手を上げたことは全くもって許されないことだが、化野は、俺の約束を少なからず守ろうとする姿勢は見えた。
でも少なからず、卯崎は許しているわけだから、第三者である俺がとやかく言う筋合いはないのかもしれないし。
使命感はないけど、ついでに、この街に起きた事件の化野が犯人であれば、証拠を掴めるチャンスかもしれない。それに化野の宇宙船が直るまでの間だ。それが済んだら、今後は化野と話すことはないだろうから、これもきっと今だけ。「二度目はないからな」と言うと、化野はうん、と頷く。何を考えているのか、分からなかった。だからこそ、知ろうと思ったんだ。知るべきだと思った。
情なんて湧いたら雑音にしかならない。分かってる。適切な距離感で化野と接したい。「もう、やらないな?」
「うん」
「だめなことなのは分かってくれ」化野は、屋上手前のドア付近の角にちょこんと三角座りした後で、蹲って隙間から俺を凝視していた。「お前がヘタなことしないか、俺は監視してるからな」話を聞いているのか不安になり目をやると、化野は唇に指を添えるとそれをそのまま数回、ちゅっちゅっと向けられる。「いいよ」
「ずっとみてて」化野の態度を見て、確信する。
これでは、全くもって先が思いやられる。✦✦01話 転校生《終》公開日 2025.05.01
───────02話 幼馴染星彩学園は中高一貫校で、名門の生徒は、始業式後から一学期の中間テストに向けての準備が始まる。今年もたくさんの生徒が勉強をしに図書室へ集まっている。ここで如何に早めに勉強を始めるかで順位が決まると言っても過言ではないのかもしれない。思えば、研究に明け暮れるばかりで参考書に手を付けられていなかった。だって楽しいんだもの。でも趣味に没頭して学業を疎かにしてしまうのは良くないことよね。お父さんもきっとそれを望んでいないはず。私もテスト勉強を始めましょうか。だけど今の時期、図書室は混んでいて何処にもゆっくり勉強できる場所がないのよね。その時、一人の女子生徒に声を掛けられる。そう、確か彼女は……。「江國さん、ご機嫌いかが?」
「あら、栂宮さん」成績上位に名を連ねている生徒、栂宮美織さんだった。それにとても珍しい苗字だからか、別のクラスだけど前々から彼女のことを私は知っていた。その後も何度かお話しする機会があって、時々廊下ですれ違うと、こうしてお話しすることがあった。「ええ、もちろん」
「貴女も次回のテストに向けて勉強始めていらっしゃるの?」
「今日から始めようと思っていたところよ」
「あら、随分と余裕そうね」
「昨日は忙しかったの。栂宮さんは毎日勤勉に努めていて本当にすごいわ」
「なッ……あたし、貴女に負けてるのよ?馬鹿にするのも大概にしなさいよ」
「そんなことないわ」
「いい?江國さん。次こそは必ず貴女に、勝つわ。見てなさい」そう宣戦布告されてしまう。私は、彼女とこうしてお話しするのが好き。「栂宮さんに追い抜かれてしまうわね」
「当然ね。余裕があるのも今のうちよ」
「ふふ、愛らしい人。楽しみにしてるわ。……あらそうだ、栂宮さんこれから一緒に……どうかしら?」
「ふん、結構よ。」
「もう、冷たい♡」そんなこと言っても、いつも話しかけてくれるのだから優しい子よね。先生も生徒も、みんな私に話しかけてくれるけど、どことなく距離を感じることもあるから。そんな会話をしていると、とあるニュースが耳に入ってくる。その聞き馴染みのある単語に視線を奪われる。校内に設置されている大きなモニターには電光掲示板のような役割があり、常時ニュース番組が流されている。生徒たちはその内容にみんな釘付けだった。「これって、今朝のニュースの」連日報道されていた。それは、この街で起きた事件についてのことだった。ここにいる生徒は、もう知っているような情報だった。地方のニュースでは何度も流されている。そこを通る生徒たちはみな依然として始業式前に起きた事件について話し出す。ざわざわと、辺りはこの話題について話し出す。春休み後は、皆の安否を確認し合った。幸い、星彩学園の生徒は皆無事であった。「例の事件、この街の付近で起こったみたいね。犯人がこの街の付近にいるんだとしたら、同じような事件が起こることも十分にあり得るわ。いつ自分が被害者側に回るのか、なんて思うと恐ろしいわよね。この街で起きた事件だもの、他人事じゃないものね。……栂宮さんも気を付けてね。」……彼女からの返事はなかった。ふと、彼女の方へ目をやると、なにやら様子が可笑しかった。その時ばかりは、いつもの彼女とは違った。電光掲示板を見つめ、何かを言いたそうにしている。「栂宮さん?なんだか様子が変よ。顔色がとっても悪いみたいだけど……大丈夫?」
「あ、あたし……、その。いえ、何も。」
「……そう?何かあったら、すぐに伝えてね。」
「……ええ。ありがとう」その時はまだ、彼女の口から何かを聞けることはなかったのだけれど。✦✦化野は、机の上で指で円を描いていた。木目をなぞる遊びしかなくて可哀想だな、と思いながら。あんなことがあったのに、早く学校に行きたくて仕方がないらしい。化野は俺に気付いて話しかけてくる。上機嫌なのか、普段よりもワントーン高めだった。「学校っていい場所だね、気に入ったよ」
「そうか」
「今、すごく気分が良いんだ」化野は俺を見るなりスッと近づいてきて、そうして近況報告をする。あんなことあったとか、こんなことしたいとか。ジェスチャーで伝えてくる。化野はあまり感情が顔には出ないものの、みるからに嬉しそうだった。「生徒会、忙しいんだろ。俺が手伝うよ」
「いいよ、お前に借りを作りたくないからな。」「猫の手も借りたいんじゃなかった?」
「いや、大丈夫。」「右手の方がよかった?お前の唯一のお友達さ。」前言撤回、悪いことを考えてる時だけは本当に分かりやすかった。
それは恋人だっけな?と、悪い顔をしながらそうけらけら笑いながら下唇を舌舐めずりして、右手をわきわきさせて見せてくる。
……それは一体どういう意味だ?なんのジェスチャーだろう。化野の惑星特有のものなのだろうか。でも馬鹿にされてるんだろうなということだけは分かる。まるで俺には友達がいないみたいに。……いないことがそんなにダメなのか。それは人間の価値観なのだと思っていたけど、宇宙人にとってもらしい。少しだけモヤっとした。別にいなくたっていい。俺はお前とは違う。「意味不明なこと言うな」
「あ、わかんないんだ」化野はその手をスッと下ろす。化野の手を見て気付いた。俺は化野に触手が生えると出会って今までずっとそう思い込んでいたけれど、この姿の化野から一度も化野から触手が生えてるところを見たことなかった。「やんなっちゃったね」
「呆れてるんだよ、お前がくだらないことばかり言うから」化野は肩を窄めて揶揄うように笑っていた。地方のニュースでは何度も繰り返し放送されている。しばらくはこのニュースが続くだろうな。
化野は「飽きちゃったね」と、足をゆらゆらしながら怠そうに机に突っ伏していた。「お前はこれでも見てろ。」子供番組を流すと、化野は「お」と言いながら興味津々に画面ギリギリまで近付いてそれを眺めていた。
……やっぱり子供なんじゃないか。人間の年齢に換算したら化野の年齢はどれくらいなのだろう。「あっやべえー、電子の粒が見える」
「そんなに近付いたら、目に悪いぞ」
「見てよ、入間よりも小さいぜ」化野は、画面に映る子供に興味があるみたいで、「この個体はあまり見ない形状だ」とか、「しっかり人間の特徴が出てる」とか、「群れから逸れてる子が気になる」といった、子供の実況観戦をしていた。化野の興味が向けられているものは番組の内容というよりも子供単体だ。そんな子供たちが密集してる子供番組は、化野の興味を唆られるものだったらしい。「子供だからな」
「入間は違うの」
「……」しかし、先程までずっと謎の実況をしていた声がピタリと止む。真剣に見つめている先には、親子がいた。家族として紹介されており、母親の腕の中に抱きかかえられている、一人ではまだ歩行できない、まだ小さな赤ちゃんが映っていた。化野は、画面を指差す。「俺も、ほしい」化野はじっとりとした目付きで俺の方を見る。俺はビクッとして反射的に背けようとしたけど、化野は身体をこっちに向け画面から離れると、ゆっくりと真っ直ぐ俺の方へと近付いてくる。不自然に、身体が硬直する。化野の目は真っ直ぐこちらに向けられている。化野の光を通さない目を見ると吸い込まれそうになってなぜだか身体が動かなくなる。背けたいのに、背けられない。逃げたいのに、逃げ出せなくなる。この後何か起こる、何かをされるって脳では分かっているのに。「どうやったらさ、手に入んの」
「ち、近づくな」
「じゃあ、逃げたら。あの時みたいに。」出来たらいいね。って笑いかけてくる。出来ないのに聞いてくる。俺が動けないの分かってて。ああなんだこれ、苦しい。違う意味でドキドキしている。全然分からなかった場所にある、急な即死ルート入った時のあの雰囲気とかBGMが急に変わる時みたいな、ああやってしまったと察してしまうあの感じに。
……もう自分でも分かりやすく混乱していて、こんな妙な喩えしか頭に浮かばない。また接触されたら、と思うと。ああ、やばい、頭がぐらぐらする。「俺は、欲しい」
「は、何言って」欲しいって、赤ちゃんが?……知らない勝手にしろとも言えないし。放置したら他の人にやばいことしそうだし。だめだ。何を言えばいいのか。誰か、誰かに相談したい。助けてほしい。いや、何が。何を。違う。最初はふざけてるんだと思ってた。でも、多分そんなことはなくて。本気だって分かったから。「したい」
「やめろって」「入間はほしい?」
「いや、いい、」「どうしたらいい」
「知ってて聞いてるだろ」「うん?なんの話」そう言ってわざとらしく首を傾げる。俺と、俺としたいのか?正気なのか。怖い。そんなの無理だ。というか男同士だから無理だ。それに出会って間もないのに。こんなすぐに、こんな。分からない。化野が分からない。母胎を食い荒らして腹を裂いて生まれる化物とかが頭に浮かんで、心拍数が上がった。「入間したい」
「しつこい」
「なんで」
「無理だ、」
「我慢できない」
「ヒッ」ああやばい、近付いていい距離の、ギリギリを責められてる。これ以上近付かれたりでもしたら手が出そうだ。頬をぶっ叩いてやるしか、もう、そうするしかなくなる。お前のこと殴りたくないから、頼むから、もうどっかいってほしいんだよ。「しようよ」
「やめ、」「家族」
「……。……、え」「家族したいよ、俺。」えっ?……なんだよ、それ。なんか、変態なことが頭によぎった俺が、めちゃくちゃ馬鹿みたいだろ。
その時だった。急に玄関の呼び出し音が鳴った。一体、朝からなんなんだ。落ち着く隙すらないんだ。「ああ、誰か来たよ」終始楽しそうに笑ってはいたが、目はずっと笑ってなかった。それが、心底怖い。
ただ、化野からは逃れられた。ああ、よかった、助かった。難を逃れた、という感じでふらふらと玄関に向かう。ドアを開けると、玄関の前に一人の男性が立っていた。手には警察手帳を持っている。そこには、【雲母】という名前が見えて、珍しい名字だと思ったんだ。事件現場の近隣に住む住人に聞き込み調査しているのだとすぐに分かった。いつか来るだろうとも思っていたのだが、いざ目の前にすると、特に悪いことなんか何もしていないはずなのに、ドキッとする。「玄関先で大丈夫。少しだけお時間いただけるかな。……近隣で事件が起きたのを知ってるよね。お話しを聞かせて欲しいんだ。この街の付近の、防犯カメラが全ておかしくなっていてね。目撃情報があればいいなと思っているんだ。」✦氏名、生年月日、電話番号、住所を聞かれた後、警察官の男性は俺に質問を投げかける。「事件当日4月2日、犯行時刻は午後23時45頃。ニュースにもなっているから分かるね。この時、君は何をしていたか聞きたいんだ。」「家から出た時、丁度そのくらいの時刻です。家の付近の路地に、不審な人物を見ました。」「犯人と思わしき人物を見た……と。もっと詳しく聞かせてくれないかな。犯人の様子や、見た目は?その時間、どうして外に出ていたのかな」「黒いフードを被っていました。身長は大体、180㎝くらいでした。ただ……。ただその後、どこにいったのか行方が分からなくなりました。危ない雰囲気があって、その場から立ち去ろうとして、家まで走って逃げました。」「うん……なるほど。でも、真夜中になんの用事があって外に?」「どうしてその時間に外に出ていたかっていうと……眠れなくて、窓を開けてみたら、その時流星群を見たんです。建物の陰に隠れてしまって、もっと見易い場所に移動したくて。」手に嫌な汗が滲む。なんでだ。嘘をついてしまったような罪悪感だ。正確に言うと嘘ではなく、全て事実なんだ。事実を話しているのに。それに俺はこの事件の犯人と、あの時に会った人物を、化野だとは言い切れなかった。「その日、流星群が見つかったって目撃情報が、数件あったようだね。ネットニュースにはなっているみたいで、一部の人の間で話題にはなっていたみたいだ。それは確かに、共通しているみたいだけど……何かの偶然だと思うけどね。こじつけで何かの予兆だとかって言い出す人もいるからね。」ああ、まただ。こんな感じで以前にも同じように話しをしたことがあった。でもあの時……、俺の話は誰にも信じてもらえなかった。だから、今回も信じてもらえるわけがない。そう、思ってしまったんだ。だから……。
あの時だって俺の言うことなんか誰一人信じてなんかくれなかった。何度訴えて、惨めに泣き喚いても、誰一人。そんな、俺なんかの言うことを信じてくれるはずがない。「君の言う不審な人物が、仮にもしこの事件に関与しているとするなら、複数犯の可能性も出てきたな。
なるほど、そうかわかった。情報提供ありがとう。貴重な時間を取らせてしまってすまないね。まだこの付近は犯人がうろうろしてるかもしれないから、夜遅く出歩かないように。また何か不審な人物がいたらすぐに警察に伝えてくれ。」
「はい、分かりました」
そうして、思っているよりあっさりと終わった。玄関のドアを閉める。その直後違和感を覚える。化野もいる、なのに化野への質問どころか、他にこの家に誰かいることすら、全く聞かれなかった。……よくよく玄関を見てみれば、靴すらない。「化野、いるのか」
「いるよ、ずっと」何言ってんの、と化野は呑気な顔でそう答える。俺が警察と話している間、ずっとテレビを観ていたらしい。「お前、靴とか服とか、どこにやってるんだ」
「どこにだって、それも俺の一部だよ。人間の服なんか着てたら」
「そう、なのか」だとすると、いとも容易いんじゃないのか。あの時の学生服姿といい。もし、化野がそうであるなら大切な人を失ってる人も多いはずだ。だからこそ、化野に犯人であることを自供して欲しい。「お話、楽しかったね」
「化野、お前じゃないよな」
「俺がなに」仮に化野が犯人じゃないとしたら。犯人じゃないというアリバイを探してみる。俺が化野を見かけた時刻とピッタリ重なるのなら、俺がまさに証言者になる。なら、恐らく現場にいることはあり得ない。だけど俺からしたらあんな全身血塗れのやつ、逆に犯人でしかなくならないか。
化野は宇宙人なのだから、もしかしたら分裂したり、瞬間移動することは容易なんじゃないか。まだ、化野の生体が分からない。宇宙人にどんな能力が備わっているのかまだ何も分からないけれど……少なくともあの触手の存在だけは。あれは、簡単に人間の手足を拘束して、ぐちゃぐちゃにすることができる。少なくとも俺は過去にそれを見たことがある。俺の右目の上の額にはその時の傷が残ってる。
素早くなぞられただけで額が抉れ、その後意識を失ってしまって……その後何針か縫うことになった。搬送された頃には卯崎は植物状態になっていたし、奇跡的に通行人に見つかったから二人とも助かったが、下手したらあの時、出血死していたと思う。「思い詰めた顔してどうしたの」と言って不思議そうに顔を覗き込んでくる。そんなことよりこれ見てよ、とスマホの画面を見せてくる。化野が、オカルト研究部の記事を見ていた。それを無理矢理奪い返すと、化野が驚いた顔をしていた。「あっ」
「聞いてるんだ」
「俺に?なにを」
「誤魔化すなよ」そんなもの、今はどうでもいいことだ。化野お前、怪しいよ。空気が読めないところとか、その態度とか。「誤魔化してないよ」
「はあ」
「その時、入間に会ってた」
「そうか、そうじゃないか、だけだ」いくら聞いても埒があかない。化野は相変わらずといった様子で、これでは話し合いにならない。あの触手は幻覚ではないはずなんだ。心では分かっていた。宇宙人であることは明確で、ならば化野が犯人だと疑わざるを得ないからだ。だからなんとかして証拠を集めたい。でも、何も出来ない。何も証拠にならない。掬っても、何も手に残らない。途端、背筋がゾワッとする。視線を感じた。ゆっくり振り返ると、深淵のような真っ黒な瞳を瞬き一つせずに真っ直ぐ向けている化野と目が合った。瞳に映った自分の表情は酷く動揺していた。空間がそこだけ切り取られているようで、あまりに不気味だった。化野はずっと、俺を哀しそうに見ていた。なんだよ、何か言いたいのか。そんな目で見るな、見るな、見るな。思わず視線を逸らした後、部屋を後にした。俺はただ、お前じゃないって信じたいだけだ。✦「入間、」
「先生?」
「悪いが少し化野の様子を見てやってくれないか。万が一、昨日のような問題行動を起こしそうになったらすぐにでも教えてくれ。」その翌日、教師に化野の件で呼び出される。そこで化野の面倒を頼まれてしまった。「はい…分かりました。」
「……本当に色々頼んじゃって悪いな、でも入間ならきっと大丈夫だと思ってる」
「あっ、」人に頼られることは、嬉しい。俺にも居場所がある気がして。それに化野と関わりがあるのは俺くらいだから仕方がないし、新学期から厄介な生徒を受け持ってしまったのだから少々気の毒だとも思ったから。教室を後にして廊下を歩いていると背後から声を掛けられた。「よ、久しぶり」振り返ると、手を上げて話しかけてきたのは幼馴染の緒環だった。本当に久し振りに見た顔だ。どうやら、化野が起こした一件は別のクラスまで届いていたらしい。「入間が仲良くしてる奴、例のやべー奴だろ。まさかとは思ったけど、大丈夫なのかよ入間。……って、俺も大概か」緒環は少し落ち着きがない様子で、首の後ろを触りながら話し始める。一匹狼の不良生徒。新学期から登校し始めたけど、少し前まで謹慎処分を受けていたらしい。そのことに関しては何をやったんだ、とまで聞けるような仲じゃなかった。昔からお互い江國とは会話をしていたが、江國がいない今では、もう殆ど会話をすることがなくなった。真ん中に江國がいるから、繋がっているだけの関係性でもある。高校に上がる頃には、別の学校に通っている江國ともあまり話す機会がなくなった。何はともあれ久しぶりに会話をしたが、あの頃の懐かしい空気感は、今でも何も変わっていないようにも思えて、安心感があった。「緒環…」
「まあ、お前が元気そうでよかったよ。呼び止めて悪かったな。じゃ、またなんかあったらな」
「ああ、」そういうと緒環は背中を向けて逆方向に歩き出した。別の方向に用事があるのに、わざわざこっちまで来て俺に話しかけてくれたみたいだった。俺も、担任に頼まれて化野の面倒を見なければいけなくなった。もしこれで化野がまた問題を起こすようなことがあれば、俺は担任との約束も守れないような奴になってしまう気がした。俺が断らずに受け持ってしまったものには、責任を持たなければいけない。辺りを見渡すが、普段俺の近くにいる化野が、今日はどこにもいなかった。授業中はいたはずなのにな。……あの時キツく当たり過ぎたのかもしれない。これぐらいが丁度良いような気もしたんだけどな。仕方がない、化野が居そうなところを一つ一つ探し回るか。
と思ったところでなんとなく教室へ戻ると、そこにぽつんと真っ黒なやつが、窓際の椅子に座って窓の外を眺めていた。どこか寂しげだった。「俺のこと探してた?」化野は窓の外を眺めながら俺に声を掛けてきた。前も同じようなことがあった。あの時はスマホを取られたが。
俺が教室の前にいるのを知っているみたいに、俺の顔を何も見ずに言ってくる。せめてこっちを振り向いてから言って欲しい。俺が来るのを知っているみたいな態度が気に障った。「……、そうだ」
「だから待ってたよ、俺お利口さんだろ」
……もう少し早くお利口さんになってて欲しかった。「隣に座りなよ」と、化野は隣の席を動かして誘導してくる。本当だったら無視して帰りたかったが、担任に頼まれてしまったのだから仕方ない。それにまた担任に話しかけられた時に何か話せるように、少しだけでも会話するか。「その後の様子はどうだ、慣れてきたか」
「せんせに俺の面倒見るように言われちゃったんだな。はは、可哀想に。」
「他人事だな」こうなったのも、全部お前のせいだ。そもそもお前が問題を起こさなかったら、俺は。担任から頼まれることもなかった。なんで俺が、お前の面倒見なければいけないんだよ。そんな俺と相反して機嫌の良い化野は俺の質問に遅れて答える。「楽しいよ、人間をこんなに間近で観察できるいい機会さ」
「あんなに距離置かれてるのにな」
「うん」その言葉の通り、化野は楽しそうだった。そうして化野は、こんな様子で、興奮気味に早口で語り始めるのだった。「比較的大人しい個体は群れない習性があるのだと思っていたけれど、それは間違いだ。彼らは群れから逸れてしまった個体なんだよ。それがさあもうさあ、見ていてかわいんだよ。健気に生きている姿に、もう感動しちゃって。ぎゅうしてやりたくなるよ、衝動的に。もう、我慢するの大変なんだ。」化野の目はガチだったのだ。「おい……、冗談でも笑えない。お前のことだから本当にやりそうだ」
「安心しろよ、兄弟。今自分が人の形してることくらい分かってるさ」……落ち込んでいるのだと思っていたけれど。
なんだ、この様子なら大丈夫そうだ。心配する必要も特に無いのかもしれないな。「卯崎の次は誰だろうな。お前は、目星付ける余裕があって、大したもんだな」
「それ、地球上のどういった皮肉なワケ」俺が席を立つと化野は「あれいっちゃうの」
「もうおしまい?」と、あのいつもの悪い顔で聞いてくる。「話はそれだけだ。今日は遅くなるから、先に帰ってろ」そう伝えると「分かった」と、言う。チラッと化野の方へ目をやると、化野は頬杖をつきながら、俺のことをずっと見ていた。✦翌日、ふと目をやると、緒環の後ろ姿が見えた。少しだけ近付いて見てみると、緒環が校舎裏に隠れて煙草を吸っているのを目撃してしまった。俺は生徒会長という立場である以上目撃してしまったのなら、注意しなければいけない。……それに、そうだ。今なら俺の方から話し掛けられるかもしれない。「緒環、」
そう声掛けると、緒環は飛び跳ねるように驚く「うわッ! なんだ入間か、脅かすなよ。」
「何してる」
「何って、そりゃ…見りゃ分かんだろ?ダチ待ってんだよ」
落ち掛けた煙草を持ち直す。俺がそれ、と目を向けると慌てて手で隠しながら火を消そうとする。「やべ。……なあ、吸ってたこと先公には内緒にしといてくんねえか。頼むぜ、生徒会長」……本当は辞めて欲しかった。前から何度か注意していたが、辞めるつもりはないらしく、俺も注意することをやめてしまった。「すぐ消すから、待ってな。」と吸い殻をポケットに入れた。
喫煙者以外の前では吸わない。緒環も色々大変だろうと思う。そうだ、本心ではやめて欲しいとは思う。でもそれは最もな他人事だと思う。それをやるに至るまでの経緯の全てを知ることはできないから。分かってやりたいけど、分かってやることはできないから。俺はただただその行為そのものをすっぱりやめろと言うのは酷だと思った。俺も、何かあった時に、精神を落ち着かせる薬に頼ってるところがあるから。……何かを始めるきっかけって、きっと、苦しいんだ、みんな。「……ああ」だからその時俺は否定も肯定もできなかった。きっと世間一般からしてみれば悪いことだ。「緒環、」
「なんだよ」
「バレたら、退学になるんだろ」
「……ッ、」「関係ないだろ、別に」何も聞かないし、止めもしないけど、自分でやめたいと思える日がくる。いつかきっと。それを待つだけなんて良くないとは思うけど。この間、緒環から「お前のこと、当時は少しライバル視してたのかもなって、今になって思うけどよ。またこうしてお前と話したくてさ。」
……そう話された時は驚いた。それなら中学の頃の件も、仕方ないと思えた。
そこから少しずつではあるが、緒環と会話する機会が増えたし、今なら話せることも多くなったんだ。緒環は、「ずっと聞きたかったことがあるんだけどよ」と続けて話し出す。「入間、江國が通ってる高校に行きたかったんだろ」
「……別に。ここなら今住んでる家から近いから。」
「はは、そっか。」「……」
「……」江國がいないと会話が続かないのも、昔から変わらなかった。みんなで同じ高校に行きたいとは思っていたけど、緒環はどこか諦めてる様子だった。ずっと一人でいたから江國が何回か勉強会に誘ったりもしていたらしいし、俺も、昔は話してはいたんだけど。昔のことを考えてる時、緒環から話題を振られる。「なあ、警官が朝から聞き込み調査にきたろ。」
「ああ」
「バイト先にも来てたぜ、何かと物騒だよな」
「……」
「そういや入間、あいつは?」「あいつって」と、聞くと緒環は、校舎裏で他に誰もいないのにも関わらず顔の横に手を添えて、他の人間に聞こえないヒソヒソ声で「転校生」と言う。「ああ」
「ていうか、入間。俺以外にダチいたんだな。」
「……」俺の反応を見て、途端に挙動不審になる。必死に何かを弁解しているようだった。「俺と江國と、それからいとこの女の子。それ以外に連んでるところ見たことねぇからさ。びっくりしたんだよ」
「……」
「悪りぃやっぱ今のナシ」「言っててめちゃくちゃ恥ずかしかったわ」と言って居心地悪そうにしていた。緒環は俺の隣でずっと「いや、俺がお前のこと知らないだけか……?」と終始落ち着かない様子で独り言を言っている。「なんかあったらさ、俺に言えよ。これでも一応腐れ縁ってやつなんだからさ」
「ありがとう」こんな俺が言えたことじゃねェけどさ、といつも言われるから何が?と聞くと「……お前、良いヤツだな。抱え込みすぎんなよ」と言われる。化野と比べたら緒環の方がまだまともだと思うしなんでこんなに気を遣われるのか分からないが、緒環にも、色々考えてることがあるんだろうなと思う。「なんであいつと仲良くしてんだよ」
「別に。仲良くない」
「そ、そうなのかよ」まあ、緒環が元気そうでよかった。左腕に巻かれた時計を確認する。お昼時間も終わるな。そんなことよりも。ずっといること、分かってるんだよ。なあ。「もう行くぞ、化野」「……は? 何……言ってんだよ?」緒環は酷く困惑していた。その時、緒環の背後から化野が姿を現す。茂みにいたのかもしれない。「バレた!」
「うわぁあッ!? なんなんだよ!!?」背後から大きな声を出された緒環は、激しく動揺していた。えっえっと俺の顔と化野の顔を交互に見る。「い、いつからそこにいたんだよ!」
「俺いたんだ」
「何言ってんだコイツ!?」化野はそういうとまたあの悪い顔をしながら緒環の反応をしばらく面白がっていた。でも、そろそろ教室に戻らないと授業に遅れる。化野はまだ緒環と会話していたが、俺が何も言わずにその場を後にしようとすると、俺の後ろをついて来た。「じゃあな、赤ウニ」
「お前のがウニだろ!」緒環があんなに声を荒げるのは、なんだか珍しかった。緒環は教室に戻る様子はなく、きっとサボるんだろうと思った。緒環は、友人を待っているらしい。その後、教室へと戻る最中の廊下で、化野は俺に背後からさっきのことを聞いてくる。「あれが緒環?」
「ああ」
「へえ。」化野が前に、江國と緒環と話したいって言ってたから来るのを待っていたが、なんでこういう時に限ってお前はついて来ないんだろうな。「話せるようになってよかったじゃん。」
「……まあ、少しだけな。」それを聞いて、化野はどこか嬉しそうだった。✦そして卯崎はどうなったのかというと。特に何も変わらない様子だった。俺も卯崎とはここで初めて言葉を交わすことになる。謝ることを目的としてきたのだが卯崎に会う化野は以前より冷静だった。卯崎をじっとりと見つめるだけだった。昨日は色々なことがありすぎて混乱していたけど、化野がやったことは良くないことだ。そんなことはお構いなしに、卯崎は俺と話したいみたいだった。
「あのねうさ、いーくんに伝えたくて。たくさんありがとうって伝えたくて」と、焦っているような様子だった。「少し落ち着いてくれないか。」そう伝え、深呼吸させた。卯崎は「えへへごめんね……落ち着いたよ、ありがとう」と言った後、本来伝えたかったことを思い出して、話し始めた。「あのね、もう聞いてるかもしれないけどずっと言いたかったことがあるの、あの時ね、そばにいたのにどうしても、伝えられなかったから……えっと……」そう言いかけては再度、言葉に詰まっていた。まだ意識が混濁しているようだった。言葉に出来なかった苦しさはあったんだろう。目に涙を溜めていた。それを振り切って笑顔を見せる。歩くことは大変だけど少しずつ慣れていくからと話した。喜ばしいことではあるのに素直に喜べなかった。それは、卯崎に嘘をついているからだろうか。化野はそれを聞いても何も言わなかったが、先に話しかけたのは卯崎だった。「はじめまして!名前なんていうの?いーくんと同じ教室にいたってことは、先輩……かな」
「卯崎ちゃん」卯崎は化野から名前を呼ばれてわっと目を見開く。卯崎は表情を強張らせ、俺の背後に隠れた。化野はそのまま何も言わず無表情のまま、ジッと卯崎の言葉を待っていた。「化野先輩、」
「先輩?」化野の反応を窺いながら慎重に言葉を選んでいく。「あ、化野くん」
「なんで俺に話しかけるの」
「あっ!うう……」入間に用事があるんだろ。と言われるとショボショボしながら落ち込む卯崎。化野からの圧が怖いのか化野と目が合うと卯崎は思わずパッと目を逸らしていた。化野はそんな卯崎をただただ見つめた後、何も口を開かなかった。さすがに俺が化野に声をかける。「化野」
「聞いただけだよ」
「ごめんな、卯崎」
「いーくん……♡」化野はぼーっとして、卯崎は俺を見つめながら嬉しそうにもじもじとしていた。化野と卯崎はあの一件からお互いに適切な距離感を保つようにしていた。化野はずっと、その間も卯崎のことを見ていた。✦ニュースの報道は、相変わらずあの事件で持ちきりだ。皆意識不明の重体になっていたが、次々と死亡が確認されていた。まだ生きている人もいる。でも暫くはこの話題は終わりそうにない。それくらい多くの犠牲者を生んだのだから。そうだ、その裏で警察も必死になって捜索しているはず。しかし犯人の特定もできず何も変化のない日常は続く。そうしていずれ、少しずつ話題は別のものへと移り変わっていく。世の中は、いつだって親切で、他人事だった。「あれ、入間じゃん」
「緒環」朝、正門の近くに珍しく緒環がいた。この時間に緒環を見ることはなかった。それもそのはず、今日、こっち方面の電車が運転見合わせになっていた。それだけじゃなく緒環は、あれから少しだけ早めに登校しているのだと言っていた。「あれっ入間くん、緒環くん」江國の声だった。そこには江國が佇んでいる。緒環は明らかな動揺を示す。「え、江國!? なんでここに?」
「ふふ、おはよう。……ええ、すこしだけ用事があったの。うさちゃんのことで。」卯崎は、確かに登下校江國と一緒にいたな。緒環は
「卯崎が?……」と一度は卯崎の件に触れたが、「江國…かわいいな…やべー今日は最高の一日だ…」と、独り言を永遠に呟く緒環は、いつもに比べて分かりやすくテンションが上がっていた。江國に話しかけられるだけでよっしゃ!と小さくガッツポーズしている。「昔はよく三人で登下校してたね」
「懐かしいよな」
「三人でこうやって話すのもすごく久しぶりだね」
「だな」三人になる時、いつもこの二人は喋ってる。だから俺は後ろから二人の話を聞くことの方が多い。それか、俺はその間スマホを見ている。ニュースの記事を読んだり、あとは……話題を探す為に。「入間くん」江國に声を掛けられてスマホを落としかける。江國はさり気なく気遣いをして、孤立する俺に積極的に声を掛けてくれる。孤立したくてしているんじゃなくて、気付いたら一人になっているだけだから気にしなくてもいいのにな。江國は、俺が人と話すのがあまり得意じゃないことを知っているみたいだ。「ネクタイずれてるよ」
「悪い、ありがとう」
「もう、本当にほっとけない♡」
「すみません」
「ふふ、これで良し」
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして♡」ふと緒環に目をやると、わかりやすく落胆していた。「な、なんで入間ばっかり……」緒環にいいなぁーー……と羨望の眼差しを向けられて居心地が悪かった。なんとなく緒環にも悪いし、気遣ってくれる江國にも悪いが、俺だって緒環に報われて欲しいと思ってるし、緒環のことも見てやって欲しいと思っている。それでもあの時から何も変わらない。あの頃を思い出すような懐かしさを覚える雰囲気の中、事件後から、一ヶ月が過ぎようとしていた。✦✦02話 幼馴染《終》公開日 2025.05.02
───────03話 従兄妹目を開ける。ああ、またいつものあの夢だ。あれから、何時ぶりだろうか。これは確かあの時化野がこの家に訪れた時にも一度見た夢だ。だとすると、きっと彼がいる。目を開けてすぐ中央のあたり。もちろん、その予感は的中する。これで、二度目。彼は、俺の姿を見つけると、「ああよかった、待ってたよ」と、嬉しそうに話しかけてくる。不定期に見るこの夢は一体、なんなのだろう。「もう二度と会えないと思ってた」彼は、困り眉で笑顔を浮かべる。そうして胸に手を当てて安堵したようにはぁ、と息を吐いていた。彼は俺がいない間、ずっとこの空間にいたということなのだろうか。……こんな、何もない空間に一人で。そう考えたら、なんだか不憫でならない。
だけど彼は、俺の夢の中にいるだけで、夢の中で俺が生み出した人間なのだから、そうであることが普通だとも思える。彼は俺に、一つの質問を投げかけた。質問というよりも、確認するように、おずおずと。「今日って4月2日で合ってる?」
「いや」
「そっか、やっぱり、違うよね」彼の中の時間感覚がどうなっているのか、わからない。気付けばもうあれから一ヶ月が経とうとしている。外を見れば、すっかり桜は散り葉桜へと移り変わる。五月に入ろうとしている。彼にとっては、一日も経っていない状況なのだろうか。こんな何もない空間にいれば、時間感覚だって狂うよな、と思う。彼はまた何か言おうとして、口籠る。そうしてハッとした彼は「……あれ?」と呟き、その直後酷く困惑したような顔をする。俺が「どうした」と聞くと、彼は、俺の方へ、無理矢理笑顔を浮かべる。「ごめんね、その」彼自身も、よく分かっていないような。そうして、一度、言葉を選んでいるようだった。「名前、もう一度だけ聞いてもいい?」
「……」
「君のこと覚えていたはずなんだけど」そうだ。俺も正直、彼の名前を覚えていない。俺はあの時、あまり彼の名前が聞き取れなかった。この様子だともしかしたら彼も、そうなのだと思う。彼は俺の方を見て申し訳なさそうな顔をするから、別に気にしなくてもいいと伝えると、「じゃあもう一度だけ」と言い、名前を伝えられる。「俺は優真、入間優真」
「……俺は、入間唯月」
「えっ」
「……」初めて聞き取れた。俺も彼も、同じように、同じタイミングで驚いていた。今気付いたが、彼の制服を見ると、俺と全く同じだった。ということは、月学の生徒ということになる。「名字が同じなんて、珍しいから」
「まあ」
「腕章?生徒会長をやってるの?」
「ああ」彼もその直後、あれ、同じ制服だ!と気付く。この間はお互いに余裕がなくて、細かいところまで見ることができなかっただけだったのかもしれない。「じゃあ俺よりも一個年上だね。俺、まだ高校二年生なんだよね。……いや、もう三年生になる、のかな?だとするとやっぱり同い年かな。どっちだろう。」と、独り言を呟いていた。もう四月は終わりかけている。確かにあの時は新学期前だったし、もう三年生なのかもしれない。でも、もし同級生であるなら。同じ名字であるなら、もっと覚えていそうなものだけど。でも彼みたいな生徒、見たことないな。俺が、他人にあまり興味がないだけなのかもしれない。「名字、一緒なんだね。呼ぶときにややこしいから、名前で呼び合うのはどう?」嫌だったら嫌って言ってねと伝えられる。別にどっちでも構わなかった。「別にいい」と伝えると「ほんと?」と言い、照れ臭そうに名前を言う。「……えっと。い、唯月くん」
「優真」
「え、じゃあ俺も。唯月」「あは。なんだか、友達みたい」と彼は笑う。ふと彼の方へ目をやると、彼は、なんだか急に悲しそうな顔をして、それから。「あの、さ。言いたかったことがあるんだ」俺に言いたかったこと。それはなんだろう。彼からの言葉をしばらく待っていたけれど、次の瞬間、あの時の光が辺りを包む。強い白い光だ。君の姿が、霞んで歪んでいく。そうして、ゆっくりと何も見えなくなっていく。彼はハッとして俺を見ている。「……ッ、……あっまって、」彼の声を最後に、俺は目を覚ました。✦「おはよう。いっぱい眠れた?」
「うう、」耳元で、声がする。眩しくて、思わず顔を顰めて、腕で目元を覆う。しばらく目を開けていられなかった。顔に日差しがダイレクトに当たっている。カーテンが風で激しく揺れている。春嵐か。この時期は特に風が強くなる。目が慣れない。しばらくして、漸く目を開けることができた。そうして、目の前の存在を見ることができた。そこには、やっぱり化野がいた。「調子どう?」
「……ずっと、起きていたのか?」
「うん まあね」俺の顔を覗き込んでへらへらと笑っていた。「人間の寝顔って見てて飽きないよね、呼吸をする度に繰り返し肺が位置する辺りが微かに上下する感じとかさ」と言う。俺が寝ている時の姿を誰かにずっと見られ続けるというのは、少しばかり居心地の悪さを覚える。「逆にさあ、人間はなんでそんなに短い活動時間で長時間眠っていられるの。それってさ、つまり疲れやすいってこと?」化野は、真剣にそんなことを聞いてくる。というと、化野はそんなにたくさん睡眠を取らないのだろうか。寝るという言葉を理解できるということは、寝るという概念はありそうだけど。その口振りでいうと化野は、人よりも起きてる時間が長くて、寝る時間が短い……とかなのだろうか。「それは……、宇宙人と人間ではそもそもの構造が違う、とかじゃないのか」
「あーそうか、そうだよね」と、俺の回答を聞いて「ははは」と無邪気に笑っていた。何がそんなに可笑しいのか分からなかった。「化野もそうなのか」
「さあ、わかんないな。別の宇宙人からしたら、俺だって活動時間短い方かもしれないじゃん。」
「……?」「でも、多分。俺の感覚を地球の時間に置き換えるとすると、一、二カ月の間ずっと起きてて、一週間寝るぐらいの感じかもね。俺からすると24時間って体感、まあ一時間くらいしかないんだよな。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。それも人間として考えたらっていう俺の想像でしかないしな。だから、」24時間がたったの、1時間?その言葉があまりに衝撃的で、ついつい被せるように聞いてしまう。「そんなにも違うのか」
「もちろん確かじゃないよ。常識とか価値観の擦り合わせって一番難しいじゃん。まあでも、一時間ごとに寝てたらびっくりするだろ。そんな感じだって思ってくれていいよ」俺はもう見慣れたけどね。と、言った後で化野は何かを思い出したかのようにハッとするのか、再び何か考え込んでる様子だった。「なあ。俺も人間と同じように小まめに寝てみようかな。自分の身体がどうなるか試したいし。一週間寝てたらやばいだろ。俺、一週間も寝てられないよ。」確かに、その間学校はどうするんだろうな。そう聞くと化野はどうしようね、と笑ってた「ま、なんとかするよ。なんとかするしかないし。」化野は、楽観的だった。化野も寝るということは、夢を見るということなのだろうか。でも、夢を見るのは脳があるからだ。化野には脳があるんだろうか。さすがに存在はすると思うが。あの光は、やっぱり太陽の光か。それか日差しだろうな。それとも起きる直前になると、寝ている間よりも瞼越しでも光を強く認識しやすいのかな。とにかく、彼が言いたかったことを聞いてあげたかったな、と思う反面、あれは夢の中の話だ。特に深い理由なんかないのかもしれない。でも時々、夢を見ることがあるから、主治医の先生にも把握してもらえれば、もっと相手やお互いの負担を減らせると思うし、話もスムーズにいく。俺も忘れてしまったり、一々記憶を思い出しながら話す必要もない。追加で夢日記を付けるのも悪くないかもしれない。✦その後、俺はちゃんと起床して、いつも通り学校へ行く準備をし始めた。リビングに行くと、食卓にご飯が並んでいる。そう、なぜか化野がご飯を作っていた。「どうした、これ」
「え、人間のご飯」
「そう、だな」
「パンの方がよかった?」化野は俺のスマホを勝手に持ち出して勝手に顔認証でロックを解除し、レシピサイトを参考にして見様見真似で人間のご飯を再現したらしい。俺のスマホ、いつも勝手に使われてるな。あんまりいい気分じゃないな。にしても、どんな気の迷いだろう。「足りないものしかなかったから、とりあえず別の物で代用してみました」
「え」それは……、怖すぎるだろ。まさか、この中に毒でも仕込んでるんじゃないだろうな。ちゃんと毒味したよな。いや、宇宙人だから毒味とか意味なかったりするのか。だめだ、怖くて食べる気が起きない。中々俺の手が進まないでいると、化野は俺の横に座る。化野はスプーンに掬うと、「はい、あー」と、それを徐に俺の口に運ぼうとしてくる。ええ、なんだ、これ。朝から本当に地獄だ……。どうして、なんでこんなことに。化野は俺の気持ちなんかお構いなしだった。「ん」
「いい、やめてくれって」
「あっ」
「一人でできる」しっかりとそう、真剣に伝えた。本当にやめて欲しかったから。化野から箸を奪う。そのまま口に運ぶ。化野は「おいしい?」と聞いてくる。なぜか、味が、しない。味を感じられない。ずっと真横から見られているし、化野と俺は、殆ど体格も身長も変わらないからか、隣にいられるととんでもない、圧を感じる。く、苦しい。離れて欲しい。「あ、寝癖」と言って、俺の髪を指で梳く。なんでこんなことされているのか。殺される方がマシだったかもしれない。こんなことされる為に生まれてきたんじゃないのに。「どう?」
「ご馳走様でした」そう言って勢いよく立ち上がり、早めにその場を切り抜けた。地獄のような空気の中で、早朝から呼び出し音が鳴り響いた。一体誰なんだ。その時はちょうど歯磨きしている最中だった。怪しい勧誘だったら嫌だな。一度目は無視した。しかしその後も何度も何度も鳴らされてしまい、怪しい宗教団体である可能性が深まる。すると、ドアの外から「開けてー!」と高い女の子の叫ぶ声がして、近所迷惑の文字が頭に過る。大家さんに部屋を追い出されたら居場所がなくなる。それは、マズイ。急かされて「はい」と玄関の鍵を開けると、視界の少し下に卯崎がいた。「おはよう、いーくんっ」そう言うと、敬礼をしながら元気いっぱいの笑顔を向ける、卯崎……のクローンの姿だった。「どうして、俺の住んでる場所を」
「えへへ〜 だって、お隣さんだから」
「……隣に?」
「ほら、いーくんの隣のお部屋、入居者募集中だったでしょ。だからね、引っ越してきちゃった♡」確かに俺の部屋はアパートの一番隅の端っこだった。その隣に、卯崎が入居し始めたってことになる。どこからそんな。というかこれは一体どういうことなんだ。卯崎の両親はこれを知っているのか、それとも……と考えた時、江國の姿が脳裏に浮かんだ。「これなら一緒に登校できるし、おはようもおやすみもいつでも言えるし、四六時中一緒にいられるね!」と、楽しそうに話していた。ずっと一緒にいる。今まではずっと一緒にはいられなかったから、そんな急にずっとなんて、きっと慣れない。「いーくん、中入っていい?」
「いや、」
「中はだめなの」
「あっ」一応止めたが、俺の横腹からチラッと部屋の中を見渡して、卯崎は「お邪魔します〜」と言い、靴を脱いで玄関に丁寧に並べて、そのまま玄関から家へと上がろうとする。しかし、卯崎の足がピタリと止まる。その先にいる化野に驚く卯崎。「化野くん!? ど、どうして?」化野は卯崎を見て「どうも」と卯崎に会釈する。卯崎は玄関の方へ振り返り、置いてある靴を指差し確認する。「やっぱり一足しかないよ!?」と不思議そうだった。一応一緒に住んでいることを話せば、納得した後で「そうなんだ……、いいなあ化野くんは。」とモジモジし出す。そこなのか、と思ったが、化野はちらりと俺に目を向けると淡々と卯崎に話しかける。「卯崎ちゃんこそ、どうしてここにいるの」
「隣に引っ越してきたの」それを聞くと、そう、と相槌を打ってそのままスッとどこかに行こうとして、……その足を止め、再度卯崎の方に視線を向ける。「卯崎ちゃん、いいの」
「うん?」
「俺、今から着替えるんだけど」
「えっ」化野は目の端で卯崎を捉えながら、人目も気にせず、ゆっくりとそのまま徐に服に手をかけ、その場で服をたくし上げ、脱ごうとする。臍が見え、胸部が露わになりそうになったところで卯崎がたまらず声を上げる。「わわっ、ッ待って! ちょっと待って!」あわわ、と焦った様子で両手で顔を覆い隠した。化野は服も自由に変化できるはずだし、あの時なんか便利そうでいいなと思ったんだが、そう思った矢先だ。そういえば化野の着ているそれそれ、俺の私服の白いTシャツだ。あいつ、まさか勝手に着てるのか。「えっち」
「え、えっちじゃないよっ!」
「やだ見ないで」
「化野くんのいじわる!」
「あはは」卯崎は涙目になりながら恥ずかしそうに化野を睨みながら怒り、化野はそれを見てケタケタと笑っていた。化野には出会った頃の時のような棘がなくなっていた。柔らかい雰囲気で、以前よりもいい雰囲気だ。和気藹々しているのは良いんだが……、玄関付近にいるからか、二人の掛け合いがほぼ外に丸聞こえ状態だった。これじゃあ、近所迷惑で俺も卯崎も怒られる。ここに住めなくなったら、俺も困る。「二人共、とりあえず話は後でしてくれないか。ここで話すと他の人の迷惑になる」そう切り出すと、化野は「だってさ」と言って俺の方に戻っていく。横目に卯崎に目を配る。卯崎は俺の言葉に「ごめんなさい、いーくん」と謝っていた。別に気にしなくていいと伝えると、靴を履いて、玄関を開ける。「卯崎、悪いけど外で待っててくれ」
「わかった、すぐに来てね!」
「あ、ああ……、」卯崎はそれを快く承諾して、「お邪魔しました〜!」と言いながらあわあわと退散するように部屋を飛び出していった。化野はそれを見て「いったいった」と笑っていた。卯崎の様子が気になって玄関から見ていると、卯崎はてくてくと下まで階段を降りると、アパートの入口付近で大人しく待機していた。あの時のように転ばないか心配になって窓からその様子を見ていたが、忠犬のようにただ大人しく待っていた。「化野、それ、俺の服だろ」
「ああ、参考にさせてもらったよ」と、色んな角度から見せてきて「ね」「どう、似合う?」と笑顔を向けられる。化野は、なんというか。全体的に光に当たる部分に薄らと紫を感じる時がある。髪の毛先の部分なんか特にそうだ。薄い部分に粘膜のような。視覚的に物凄く存在感がある紫というわけじゃなくて、ふんわりとそれを感じる。どうやら俺のではなさそうだった。「布生地とか、無機物は比較的やり易いんだよ。大きな変化がないから。伸び縮みするものはちょっと再現するのが難しいけど。ほんのちょっとね。」後々になって聞いたが、卯崎の制服は江國が用意したんだという。一体どういうことなのかわからないが、クローンに関しては首を突っ込むところではない。……それに、やっぱり。どう見たってこんなの、咲紀じゃない。咲紀は足の出るスカートは好まないし、身体のラインを出すのなんて一番嫌がる。それに何よりも顔を出すのを極度に拒む。「パパから、ママに似てるって言われたから」と言っては自分の顔が嫌いなんだって言っていた。咲紀は、とても顔が整っている。理由は分からないが、あんなに嫌がっていたのに。こんなの、あり得ない。でも江國の言うことが本当であれば、中身は本人咲紀だ。それなのに脳が拒絶してしまう。記憶の中の咲紀と違いすぎる。いくつか記憶喪失のような状態にあるってことなのはわかる。だけど、本当に、それは咲紀と呼べるだろうか。再び彼女と再会した時に、より強く自覚してしまった。それはまるで、同じ見た目をした全くの別人のようだった。✦咲紀が待っている。急いで身支度を終えて、玄関を出て下に降りると、卯崎はちゃんと待ってくれていた。花が咲いたような、明るい笑顔を振り撒いて。「悪い、卯崎」
「いーくん待ってたよ〜!」そう言ってにこにこしながら、俺の横をちょこちょこついてくる姿は、確かに小さい頃の咲紀みたいだ。登校する道のりを卯崎はついてくる。見た目は違うが声は咲紀だ。咲紀が車椅子無しで俺の隣を歩いている。「兄さんの隣を歩きたい」と言ってる咲紀の顔を思い出して、なんだか涙が出そうだった。卯崎は俺のそばにきて、「はあ、はあ、歩くの早いねっ♡」と早足で言ってくるので、なるべく歩幅を合わせようと俺がペースを落とすと、卯崎は「優しい♡」と嬉しそうだった。その後も何度か「かっこいいね」「歩道歩いてくれて優しいね」「大好きだよ」「髪型似合ってるね」と話しかけられるが、なんて答えたらいいのか分からないものばかりだった。ただ、間を開けて斜め後ろをついてくる謙虚なその姿は、さながら等速直線運動のようだった。その時、「いーくん」
「なんだ」
「あのね」
「どうした、卯崎」
「……隣、歩いてもいい?」「別に、気にするな」と話すと卯崎は嬉しそうにきゃあきゃあ声を上げて俺の腕にすりすりと顔を寄せてくる。突然そんなことをされたら……、思い出してしまう。懐かしさを覚える、子供の頃の癖だ。そっか、本当に咲紀なんだ。見た目も性格も違う。でも、微かに感じる。咲紀を。あの頃の記憶が思い出される。俺は少しだけ悲しくも、微笑ましい気持ちになった。でも、何を話そう。何を話したらいい。その後も俺に色んなことを話してくれる。「今日はぽかぽかして天気が良いね」「暖かい季節になってきたね」「昨日は少し寒かったね」……そう頑張って俺なんかと会話しようとしてくれて、申し訳なくなる。俺は卯崎の話題についていくのがやっとで、相槌を打つことしかできなかった。きっと話したいことがたくさんあって話題がころころ変わっているんだろう。正直、気まずい。俺はどんな気持ちで、どんな顔で今の咲紀と接したらいいんだ。「学校って、楽しいねっ」
「楽しいか、ならよかった」
「うさね、友達たくさん作りたいの」
「……、そうか」俺の反応を見て、「うさ、何か間違えたこと言った?」卯崎はそう不安そうに俺の顔を覗くが、その逆だった。今でも、学校に通うことができたら友達を作りたいって言ってたこと忘れてなかったんだって、今でもそんなことを変わらず真っ直ぐに、純粋に考えていたんだ、と嬉しくなったんだ。ほんのり残る、咲紀の要素を見つけて、泣きそうだ。そういえば化野とも、同じような会話を、つい最近もしたような気がする。学校ってそんなに楽しいものなのか。俺にはどうかわからない。
学校は行かなければいけないもので、行く方が楽で、それ以外に楽しいと思ったことはない。そんなことを考えながら最寄りの駅である月待駅に着いた。いつもより早く家を出発したから、一つ早い時刻の電車に乗ることになりそうだった。それにしても、ずっと。卯崎の手に持つものが気になって仕方がない。さりげなくついつい触れてしまった。それ…、と口に出そうとしたところで、俺が気になっているのに気付いて「あ、」と感嘆符を上げ、卯崎が説明をし始める。「いーくんを守る為のものだから安心してっ!護衛用にって江國お姉ちゃんがくれたのっ」
「……え、」
「それにね、化野くんに負けたくないの」これなら化野くんもイチコロだね!と凶器を振り回す。危ないから、振り回すのだけは。気が気じゃない。あまり納得できないが、そういうこともあるか……いや、ない。そもそも所持してるだけでもだめなんじゃなかったか。江國が、何か理由を話してくれない限り、卯崎は犯罪になるんじゃないのか。装飾品みたいな括りになってるけど、俺にはそんなふうには見えなかった。なのに、みんな何故かこれに対して誰も何も言及しないところが、不自然ではあった。修学旅行で買うようなデカすぎるキーホルダーとか、木刀とかそういう風に見えるというのか。「誰がイチコロなの」その声と共に卯崎の背後から面倒くさそうに化野が現れる。卯崎はそれにびっくりしたのか「ピャッ!」と高い声を上げて驚く。それを耳にした化野は顔を顰める。化野は「元気?」と言ってにこりと笑っている。卯崎は少し警戒するように身を縮こませていた。「なんで二人は一緒に住んでるの」
「化野は…いとこなんだ」
「いーくんってうさ以外に、いとこなんかいたの」卯崎は俺に問いかける。その発言に、化野はピクリと反応する。「遠い遠い、いとこだよ」
「遠いいとこなの?」
「そうだよ」それだと〝はとこ〟にならないか、と思ったけど何も言わないでおいた。二人は、そのまま俺を間に挟んで会話する。化野は卯崎のことをしばらく見ていたが、だけどこれといって特に何か話す訳でもなさそうで、その横をスッと通るだけだった。だが、その時だった。「入間、卯崎ちゃんの相手しない方がいいよ」化野はそう言うと、俺の腕を掴んで無理矢理引っ張っていき、俺が化野の横を並走する形になる。俺からすれば両者共変わらない。もうどっちだっていい。俺を巻き込まないでくれ。別に、化野の言うことに耳を傾ける必要もないし。俺は化野の腕を振り解き、そのまま無視すると「えっ」と驚いてから、化野はてくてくと俺の背後をついてきた。「いーくんに何か言った?化野くん」
「いや」
「いーくんと一緒に登校してるの、邪魔しないでっ」
「卯崎ちゃんが入間のストーカーするのやめたらね」
「それは化野くんも同じだよっ」
「俺?」俺の後ろを卯崎もついてくる。そうすると二人は並んでおり、二人の会話が後ろから聞こえてくる。二人は俺を追いかけるようにぴったり後をついてくる。まあどうせ、いつかどっか行くだろうし、もういい今は放っておく。なぜだかわからないが、化野と卯崎は仲良くなれそうな雰囲気がある。もう、そうなればいいとも思う。俺はきっと、二人の邪魔でしかない。「うわーん! 化野くんなんか嫌いっ」
「そう。お好きに」
「絶対に負けないもん」朝はあんなに雰囲気がよかったのに。気付いたら化野も卯崎もお互いを見合って、ピリピリしている。空気が重い。何をそんなに。どうしてこんなことに。もう、早くこの状況から逃げ出したかった。✦✦ある日のことだった。私はまた栂宮さんから話しかけられたの。でも、以前よりもずっと何かを考えてるような表情をしていたの。「警官の方が、聞き込み調査に来たでしょ」
「ええ、そうね。」栂宮さんは突然固く閉ざしていた口を開く。その時に、彼女の神妙な面持ちで只事でないことを察したの。「……あたし、その時に現場にいたの」
「それは本当なの?」
「……ええ。そこで、あたし、殺されかけたわ」
「そんな……」話している内にあの事件の目撃者であると吐露したのだ。彼女とは、よく話す事があったが、まさかあの事件の生き残りだったなんて。ニュースでは、容疑者と思わしき人物は、亡くなっているはずだった。
そう、ニュースでは誰一人残されていないって聞いていたのに。「目撃したの。でもね、なんというか、すごく……、今から変なこと言うかもしれないのだけれど。」そうして言うのを躊躇っている。「触手が生えた、なにかだったの、」
「触手が……、生えた?」
「その、あたしの見間違いだったら、よかったのだけれど……そう、信じたかったのだけれど……あれは……確かに、見間違いなんかじゃなかったわ。」「……いや、どうだったかしら。」と、不安そうな表情を浮かべていた。最近同じようなことを耳にした。なんだったかしら。確か……。そういえば、入間くんも見た事があるって言っていた。詳しいことを聞こうにも、逃げることに必死で容姿など何も覚えていなかったと言う。一つの提案をした。「ごめんなさい。俄には信じ難いわ……。」「そうよね。貴女だって変だって思ったでしょ。……警察の方々にも同じように言ってみたの、でも、やっぱり貴女と同じような反応だったわ。だって、そんなの、あり得ないもの。あたし、兄が殺されて、それがショックでおかしくなっちゃったのかもしれない……って。妄想とか幻覚とか、そういった類いのものだと、そう思って、恥ずかしくなって。あの時は自分の口からは言えなかったの。ごめんなさい。」「……ううん、話してくれてありがとう」
「江國さん、」
「あのね、私。幼馴染がいるの。その子もね、栂宮さんと同じような事を過去に言っていたことがあったの」
「それは本当なの?その子は、なんて言ってたの、その化物を」
「宇宙人だって、言ってたのよ。」
「そんなの……、あり得ないわ、」栂宮さんは信じられない様子だった。「それならやっぱり、あたしが見たものはその幼馴染の子と同じ、宇宙人?……嫌よ、そんなの。いるわけないじゃない。あたしは絶対に信じたくない。信じないわ。それなら、まだ頭がおかしい方がマシよ。」
「まだ分からないわ。でもね、それがもし本当なら、オカルト研究部の人たちに聞いてみるのはどうかしら。」
「……オカルト研究部?あなた、ふざけているの?江國さん」
「そんなことないわ。」星彩学園オカルト研究部所属の部長は片瀬くん。以前彼は、同じくオカルト研究部の部員であり幼馴染の恋森さんと一緒に目撃したことがあると、一度耳にしたことがあった。……確かあれは、一年前くらいかしら。「オカルト研究部って、部長があの変わり者ってよく言われてる片瀬さんでしょ。あまり関わりたくないのだけれど……本当に何か分かるのかしら。」
「でも、何かの手掛かりになればいいなって思ったの。」そうして片瀬くん、恋森さん、栂宮さん、と話し合うことになった。私は栂宮さんの話を聞いて心当たりがあった。幼馴染の入間が、過去に同じように主張していたことがあった。
信じられないけど、幼馴染も同じようなことを言ってたことがあったことを片瀬くんに伝えると、「そうだね。僕が思うに、それは宇宙人の仕業だと思うんだ。」
「ええ!?ちょっと、待ちなさいよ。貴方まで、何を言い出すの?」
「栂宮さん、気持ちは分かるわ。でも彼は本気だと思うわ。」
「そ、そんなの、スピリチュアルな話題すぎてついていけないわ。あなたも頭がおかしくなっちゃったの?彼、信用ならないわ、江國さん」
「栂宮さん、でも」
「そうだよね。僕もそれが正常だと思うよ。」【事件】については以下の通り。
① 数分間で数十人が殺害された事件。死因や断面、状況などから人の犯行ではあり得ないとされており、動物によるものかとも話されているが証拠不十分。
② 数ヶ月が経った今でも犯人は見つかっておらず手掛かりさえ残されていなかった。犯人が複数人いるんじゃないかなどの憶測が飛び交っていた。
③ 監視カメラが全てその瞬間だけ映像が乱れており、電波ジャックされた可能性がある。その間数分に満たなかったという。「もう、夢かもしれないって思ってたんだけど……」
「やっぱり宇宙人はこの街に来たんだよ!」
「は、はあ。」二人の間に温度差を感じてしまう。「本当にこんなに変わっているだなんて思わなかったわ」
「目撃者がいないし、映像自体がデマだという噂もあるみたいだけど……。目を輝かせる片瀬くんに、栂宮さんの顔は強張っていた。普段から変わってる人だとは思っていたけど、ここまで変わり者だとは思わなかった。「私の他にも、兄と妹が一緒にいたの」
「栂宮さんには、妹さんが?」
「ええ、私と同い年の双子の妹よ。別の学校に通っているの。」
「それって入間くんが通っている月世高校の?」
「なるほど、月世高の生徒なんだね。」
「妹は、あの日以来宇宙人と人間の恋愛を題材にしたような漫画を描き始めて……きっと、可笑しくなっちゃったんだわ。」
「それは…興味深い話だね。」「妹が、膝に擦り傷のような怪我をしているのを見て、夢ではないかもしれないって思ったの……それに、」
栂宮さんは苦虫を噛み潰したような表情をした後に声を絞り出して伝えてくれた。「……それに、あたし……ッ、あたしたち姉妹を助けようとして……!」
それを聞いて、片瀬くんも息を呑んだ。全てを察してしまった。「栂宮さん落ち着いて。」
「……ごめんなさい、取り乱して。兄は、とても勇敢で偉大だったわ。私たち姉妹を庇ってくれたんだもの。私は、とにかく無我夢中で妹の手を引いて必死に逃げたの。追ってはこなかったわ。」
「お兄さんのことは、気の毒だったね……僕らだっていつ被害者になってもおかしくないんだ。」
片瀬くんはメモに走り書きのように何かを書き綴っていた。「身体的特徴は何かあったかい。」
「夜で見辛かったけれど、あれは確かに触手みたいだったわ。」
それが存在している時点で、人間でないことは確かだった。「その時、一瞬だけ街灯が全て消えたの。停電みたいな感じになって、それで。みんな、叫び声が出ないように首を切られてた。視界に何も見えなくなって足元も分からなくなったの。真っ黒な影に見えて…もしかしたらフードを被っていたのかもしれない…」その時、恋森さんが言葉を発した。
「あの……もしかしたら、」
片瀬は名前を呼んで、恋森に耳を傾ける。「うん、なるほど。電波ジャックされていたわけではなく、街灯が全て消えたから何も映らなかったのかもしれないと、彼女は思ったみたいだ。でもそれでは辻褄が合わない気がするね。それなら被害者が写ってないことが不自然だ。それに映像自体が乱れているのもニュースで報道されているからね。そんなことはないのかもしれないな。」
片瀬くんはあらゆる局のニュースを全て網羅して何度も巻き戻して映像を再生していたから全て覚えているのだという。「入間くんが言っていた特徴がもし栂宮さんの言うものと一致していたら、可能性は……高まる気がするわ。」
「その江國さんの幼馴染くんも、ぜひ紹介してくれないかい。」
「ええ、もちろん。今度話してみるね。」その後、オカルト研究部の部室を後にする。栂宮さんはこれから塾があるみたい。その廊下で栂宮さんを呼び止める。「ねえ、栂宮さん。」
「まだ他に何か用事が?」
「美織って呼んでもいい?」
「えっ」栂宮さんは驚いた様子だった。「なんだかんだ、高校一年生の頃からの長い付き合いだし、私たち、おともだちだって思ってるの」
「……好きにしたらいいんじゃない」
「ふふ、じゃあまた明日ね、美織♡」
「え、ええ。また明日ね、紗代子さん」
「違うわ。紗代子よ。さ、よ、こ。」
「ああーーもう、はいはいわかったわよっ!紗代子ね、さよこ!」入間くんは学生アパートに住んでいて、住む地区が変わっちゃったから、彼と一緒の方向に帰ることもなくなっちゃったけれど、これでまた……彼と話せるかもしれない。
うさちゃんを迎えに行く用事もあって、彼が通ってる高校に足を運ぶことが増えたわ。彼と最後に話したのは、この間のうさちゃんの件、それ以来のこと。うさちゃんのお迎えに行くことも今後増えるから、もっと彼と話す機会ができるかも。「ふふ、楽しみだわ♡」✦✦化野は気付けばその日から、卯崎に粘着するようになっていった。何かある度に卯崎の元に近付いていた。その度に卯崎は驚くが、上手く対応しているようで、歪ではあるものの、それが日常になっていった。最初は化野に注意していたが、次第に無理に止めることはやめていた。「卯崎ちゃんいたあー♥」
「どうしてうさの邪魔ばかりするの」
「どうしてだと思う」
「もーっ 意地悪しないでっ」いつも通りの会話だった。化野は卯崎を見つけると悪い笑顔で近付いていく。泣きそうな卯崎の声が聞こえるが、それもあははっと楽しそうな声に変わる。……なんか、仲良いな。と思う。嫌な予感がする。この間も、先生から受け渡されたプリント類を運んでいる時も、二人きりでいた。「化野」と声を掛けると真っ先に卯崎が反応する。「化野、卯崎に何もしてないよな」「……卯崎は優しいな、あんなことされた後なのに。怒ったっていいし、許してやる必要なんかない」
「ううん、そんな……ありがとう」「……いや、こちらこそ。化野と仲良くしてくれてありがとうな」
「でぇへへ♡♡♡」卯崎は化野に対して特に憎しみを抱いてる様子がなかった。化野はその様子を淡々と眺めていた。ここ最近、ずっと。どこにいても、例えばそう。今まさに校内でも起きている。長い廊下を歩くと、俺の背後をついてくる影が見えるのだ。まただ。何かの視線を感じて振り返ると、卯崎がいた。でも、どうしても卯崎だとは思えない。卯崎はこんなことしない。したことなんかないし、するようにも思えない。まるで性格が真逆だからだ。そして卯崎は、度々俺の私物を盗んでいた。物が無くなっている、そういう時は大抵卯崎の仕業だろう。卯崎に跡をつけられている。化野はそれを見てその間を割くようにして、後ろからついてくる。なんなんだこの状況は。度々化野には「今日は右から行こう」と手首を掴まれていた。その度に身体が拒絶するのか、思わず振り払う。
わざと左に行くと化野は焦った様子で「ちょっ、待って」と後ろから走ってくるのだった。化野が焦ってると少し気分が良い。
転校初日も同じようなことしていたが、今度は何を企んでいるんだろうか。それがアイツの特殊能力か何かなのか、宇宙人なら可能なのか。
本当のところ、それに関しては俺はまだ信じきれていない。ふと見ると、化野と卯崎が揉めているようだった。俺は───────
✦✦何故なら、特に何も起きていないからだ。……化野の言うことは嘘か当てずっぽうなんじゃないか。途端、赤い閃光が目に入る。違う。それは俺から流れ出たものだった。スッと、一部に熱を帯びる。次の瞬間、激痛が走る。「いーくん、ごめんなさい。」その声はどこか落ち着いていた。化野が俺のそばに駆け寄ってくる。酷く困惑していた。だからね、あの時、あの子と約束したでしょ。
約束を果たしにきたよ。あの子と、うさとで半分こ。✧ここに来る前の話。うさがここに来る前。みんなでお絵描きしてた。澱んだ空気を肺に入れて、人工物の光を浴びて過ごしていた。「ほらいーくんだよ。上手に描けたんだ」「あーあうー」「ああーーーーー」
「ああああ」
気が付けばわたしは、他のおともだちとは、話が合わなくなっていた。「あーううーー」「どこおー」「あははっ」「くるしい……」「いーくんあいたいー」「あいたいー」「あそぼー」「たのしいー」
生き物はみんな、同じ姿をしているのだと思ってた。だけど、江國お姉ちゃんを見た時、わたしたちが違うのだと気付いてしまった。きっとあなたはここにはいない。
わたしたちは外には出られない。
それがなんとなく分かっていた。だから、分かっていても、江國お姉ちゃんにもみんなにも、そのことは絶対に聞かなかったし、言わなかった。みんな気付いていないことをわたしは気付いていたから、その時に、わたしは他の子とは違うんだ、わたしは特別なんだと思っていた。あの窓の外の更にもっと奥、そこにきっと、〝あなた〟がいる。「うさちゃん。あと、もう少しだけ、リハビリが必要なの。長い間立ってることなかったものね。学校はどうだった?」
「すごく楽しいよ!」
「そうなの、それはよかった」江國お姉ちゃんは、きっと、わたしには話しかけてない。
いつだってわたしの奥側にいる、あなたを見ていた。みんなとは違ったから、わたしは優れてると思ってた。でも外の世界はもっともっと、難しくて、全然うまくいかない。わたしよりももっともっと優れた人たちがいて、世間知らずだと、思い知らされた。
わたしはね、優れてなんかいなかったの。それでも、やらなくちゃいけなかった。みんなにはできないことを、わたしはさせてもらっているから。みんなの為に、頑張らなきゃ。卯崎咲紀ちゃんは、わたしに答えを教えてくれる。導いてくれる。あなたはわたしの味方。わたしはあなたの味方。だからわたしは従う。抗わないように。怒らせないように。違和感を感じさせないように。ねえ。初めて貴方に会った時、初めて貴方の顔を見た時、初めて貴方の声を聞いた時、ずっと前から知ってたのに、やっと会えたって思ったの。✧オリジナルも、他のクローンも、みんなみんなみんな、邪魔する者はみんな。この手で消しちゃえばいいんだね。……どうして、こんな簡単なことにも気付かなかったんだろう。生きてるって楽しい!こんなに選択肢があって、わたしは選び放題なんだ。「……もう、わたしがオリジナルってことでいいよね。」やっぱり全部、うさのもの。いーくん全部、わたしのもの。あなたと半分こなんて難しい。誰にも邪魔できないね。
✦✦何故なら、特に何も起きていないからだ。……やっぱり、化野の言うことは嘘か当てずっぽうなんじゃないか。そういえば、化野はどこにいった?そうして後ろを振り返ると、普通に卯崎と言い合いをしていたので無視した。いつも通りだった。二人が何をしていようが何を話していようが別に。別に、なんでもいい。なんでもいい、けど。「化野」
「入間」どうして俺は化野に話しかけているんだろう。どうして俺はここにいるのか。どうして俺はわざわざ自分から首を突っ込んでいくのか。俺が、化野と卯崎の間に入っていったところでどうにもならない。……やっぱり、この間化野が起こした問題が気になるし、俺は多分他人事じゃ済まないから、面倒なことが起きる前に対処しておいた方がいいと思ったのかもしれない。「卯崎に何もしてないよな」俺の問いに化野は答えなかった。そのまま俺のことを見ていた。その沈黙は肯定とも捉えてしまうが……、卯崎は俺の方に歩いていく。「いーくん助けてくれてありがとう♡」
「いや、そんな……」卯崎はこの後、どこかにいく用事があるようだ。「じゃあうさ、江國お姉ちゃんのところ行かなきゃ」そうか、卯崎はクローンで、江國とは関係があるんだった。クローンってどうやって生み出したんだろう。ちゃんと人の形しているし。不気味だな。行こうとした時、前から声がする「うさちゃん、迎えに来ちゃった♡」
「江國お姉ちゃん」
「こんなところにいたの、すごく探したよ」
「ごめんなさい……!」
「今日もリハビリ頑張りましょうね。」
「うん」卯崎は〝リハビリ〟を頑張っているようだった。江國は卯崎のお迎えに来るようになった。そうして仲良く手を繋いで一緒に下校している。「入間くん!またね」
「あ、ああ」江國は会釈をして、その場を後にする。卯崎と話しているようだった。「化野、さっきの一体なんなんだ」
「さっきのって?……ああ」化野にそのことを聞いても「宇宙人には予知する能力なんてあるんだ」と他人事で、まるで今知ったかのような反応をされる。✦「あのね、聞いて」「手術が成功したんだよ」卯崎が嬉しそうに俺にそう話しかけたあの時。「これから先は、ずっとそばにいられるね。おはようもおやすみも、毎日伝えられるし、たくさんがんばったねって言って、よしよしだってしてあげられるし、大好きって毎日伝えられるのがすごく幸せ」「声が何も出なくて、何も言えなかったことがなによりも一番、苦しかったから、これからは大好きだよって、毎日伝えるねっ」そう言ってくれるのはありがたい、けれど。「………他に、もっとしたいことはないのか。歩けるようになったんだから」
「どうして?これが今一番したいことだよ。いーくんのそばにずっといること!」〝普通に歩けるようになったら、兄さんの隣を歩きたいんだ。
だからリハビリ頑張るね。〟言ってることは、小さい頃の咲紀と変わらなかったから。……それはまるで、あったことが、すっぽりと、全て無かったことにされてるようだった。手術なんかしていない。
咲紀の肉体は、今も動けず眠り続けたままだ。そんなこと、いえるわけがない。江國とも約束したこと。だから俺はこの先も、嘘を吐き続けなければいけない。……俺のせいだ。
俺のせいで、あんなことになったんだ。
ごめんな、咲紀。✧✧春が訪れるもっと前の、雪が積もる冬の時期。新年になると、年末年始の行事があり、親戚同士の集まりがある。
なぜか母さんは、俺の手をぎゅっと握ったまま、顔がいつも引き攣っていたのを覚えている。目線の先には、いつも病弱で足が不自由な彼女がいる。色素の薄い髪と、淡い瞳の色が綺麗な子だった。彼女は俺の従妹で、叔母さんは母さんによく似ている。双子の妹だからだろうけど、そうなると、彼女は、母さんにもよく似ている。親戚だから、そうなるのも当たり前なのかもしれない。彼女とは度々目が合うが、実はまだお話ししたことはない。母さんからは「あの子とは、仲良くしないで欲しい」と、よく伝えられてた。
「どうして」と聞いても、俺の為だっていつも言われていた。理由はわからないまま。母さんは、俺の手をぎゅっと握って離してくれない。ある日のことだ。いつものように親戚で集まっていた。車椅子に乗った彼女は、俺の方をいつものようにただ真っ直ぐ見つめてくる。車椅子に乗った彼女の目線が近くて、俺も目が合う形になる。彼女は、何かを口遊んでいる。声に出さずに、口の動きだけで、俺に伝えてくる。〝おねがい、たすけて〟ずっと、ずっとその単語を俺に伝えている。
彼女は、必死に、泣きそうな顔をしている。ずっと、ずっと俺の方を見ながら。俺の目を見ながら。それを見た途端、全身が、痺れるように熱くなった。瞬きするのを忘れるほどに。彼女は、叔父さんに連れられていく。だめなことだってわかっていたのに。俺は母さんの手を振り切って走っていた。母さんは俺の名前を呼んでいたけど足を止められなかった。彼女は助けを求めている。俺にはどうしても見過ごせなかった。彼女の元に辿り着く。「あの、はじめまして」
「えっ」
「僕、唯月って言うんだ。君、名前なんて言うの」
「わ、わたし、さき…です」「よろしく、さきちゃん」
「よろしく…唯月、お兄さん」「咲紀ちゃん、よかったね」と、叔母さんが嬉しそうにそう言う。彼女は目に涙をいっぱい溜めて微笑んでいた。俺は、来てくれると思っていた、と。それから俺たちは、度々一緒にいるようになった。母さんの言い付けを破って、彼女に会いに行っていた。なぜだか分からない。けれど、彼女の笑顔を見ると嬉しくなる。少しでも寂しい思いをして欲しくないって、あの時、思ったんだ。✧これは、咲紀が植物状態になる前の話。咲紀は、俺が知る限りだと入退院を繰り返していて、病気がちで、ろくに通ったことがなかった。退院しても、家の中にいることが多くなって、そうして再び体調を崩してはまた入院していた。入院していない時期の方が多いくらいだ。咲紀は、学校の話が好きだったんだ。学校に通うことができたら友達が欲しいってよく言っていたな。また学校の話、聞かせてって目を輝かせていたのを今でも忘れられない。だから俺は咲紀の為に学校を休むことはなかったんだ。今までずっと。咲紀が学校に通えない分俺が通って、二人で共有する。それが、何の取り柄もないけど、健康体で生まれてきた俺にできる唯一のことだった。「兄さん、勉強出来るんだね。すごいよ」
「江國には負けるけど」
「……そんなことない。兄さんはすごいし、かっこいいし、私にとって満点だよ」
「気遣わせて悪いな」
「本気でそう思ってるよ。兄さん大好き。ご褒美にちゅうしてあげる」
「ありがとう。気持ちだけで十分なんだ」「したいの、だめ?」
「咲紀……、」
「退院後ならそれ以上もできるよ」こうなった時、俺はいつも「嫌だ」とか「やめて欲しい」って強く言えない。悪意があって傷付けたくて嫌がらせしたくてしてるなら話は別だが、好意がある相手の気持ちを無碍にしてしまう気がして、逆に傷付けてしまうような気がするからだ。それならまだ自分が我慢して耐えて。自分が傷付く方がマシだって思うから。「兄さんのが欲しいの」
「そういうのは付き合った後で、好きな人としてほしいから」
「じゃあ後は付き合うだけだね」
「そうじゃ……なくて。もっと自分の身体、大切にして欲しくて」その言葉でスイッチが入ったようになる。俺には分かる、切り替わるタイミングとかが。長く一緒にいるからだろうか、間合いとか、声色とか。表情の変化に酷く敏感になった。咲紀はこうなると、俺の言葉を聞いてくれなくなってしまう。「兄さんが私の身体大切にしてよ。私じゃ、大切にできないの。兄さんの手で大切にされたいの」苦しい。分かってる。咲紀だって自分を大切にできたらそうしていたんだって。淡々としているのに、これが精一杯の悲痛な叫びなのだと苦しくなる。「俺は咲紀に、傷付いて欲しくない」
「じゃあできるね、私ずっと兄さんに拒絶されてすごく傷付いちゃった」間違えないで欲しい。断ることは、咲紀のことを拒絶しているわけでも、拒絶したいわけでもない。大切に思っているから、ずっと慎重に言葉選びをしているし、少しでも傷付いて欲しくない。身も心も。丁寧に、慎重に。受け入れてあげたくて。その方法以外に、何か方法がないか、ずっとずっと探しているけど、見つからない。本当なら咲紀と一緒に見つけるべきなんだと思う。その言葉を咲紀に伝えられたらそれが一番いいんだと思う。でも、もしこの気持ちが拒絶されてしまったら、俺は。「ずっと言ってる、難しいって」「めちゃくちゃにしていいよ。兄さんの手でめちゃくちゃにしてよ。愛情なんていらない。大切な気持ちも全部今は忘れていいよ。兄さんは何も考えなくていいし、難しいことなんか全部考えなくていい。私はそれでいいよ。私は兄さんの初めてが欲しいの。今はそれ以外いらない。」「ごめん、出来ない」咲紀は黙ったままだった。そうして、俺の言葉を待ってるみたいだった。「咲紀のこと、江國もすごく心配してる」
「心配してるって、さよこお姉さんが?」咲紀は、俺の言葉を聞き、途端に豹変する。「そう、なんだ。……あの人、どうせ兄さんのことが好きで、そんなこと言って兄さんに気に入られたいだけでしょ。ていうかさ、またさよこさんの話題?……兄さんってさあ。さよこさんのこと、好きだよね」「そんな、違う……。咲紀のことを必要としてるのは、俺だけじゃない。みんなだって同じくらい咲紀のこと心配していて、それで、」……いや、謝ろう。俺が悪い。こんな御託を並べたって、意味ないこと分かってる。また、やってしまった。咲紀が嫌がることを。とにかく今は、不機嫌にさせてしまったことを謝るべきだ。「咲紀、ごめん」
「私の方こそ、ごめんなさい」お互いに謝って、そして、さっきまでのことが全部なかったかのように別の話題へすり替わっていく。お互いに会話が続かないとかじゃない。でも、分かる。それでも、咲紀はずっと、俺のことを見ていて、それで。「咲紀」
「ううん、別に。なんでもないよ、兄さん」咲紀は笑顔でそう言っていたが、きっと咲紀は、この時のことを許してくれない。あの時、江國の名前を出したことを後悔している。咲紀はそのことにずっと怒ってる。そして今でもずっと覚えている。俺は別に、江國と何かあるわけでも、何かしたわけでもない。ただの幼馴染ってだけだ。ただ咲紀と共通である人物の名前だから、咲紀にも分かりやすいと思っていたし、江國も、咲紀のことすごく心配していたから、それを伝えられるのが俺だけだから。それだけ、ただそれだけのこと。でも、全部間違いだった。俺は何も分かってなかった。付き合えないってしっかりと断ってもいる。なのに、関係がなあなあになっている感じがして、俺もずっと申し訳なかった。俺が、中途半端に優しくするからだ。ただ純粋に優しくしたいって感情は、将来的に関係を持てない人に向けるべきではないんだと。✦✦帰り道に西日が射していた。足元に人の影が伸びていた。前を向くとそこには、幼馴染である江國が立っていた。「入間くん、この間振りね。」江國は笑顔で、顔の横で優雅に手を振りながら俺の近くまで小走りで近付いてくる。「江國」「こうやって二人きりで一緒に下校するのは、数年ぶりだね。あの頃に戻ったみたいでなんだか、嬉しい。」この間は、緒環がいたからだろうか。「入間くん、ご飯はちゃんと食べてる?」
「ああ」
「あら、それなら良かった」そうして俺の方へチラリと目をやると、「スマホ見なくても良くなったんだね。」と笑いかける。江國とここ最近よく一緒になることがある。なぜなら江國は、卯崎に用事があるからだ。普段なら反対方向だし、駅も逆方向で顔を合わせることが無くなってた。スマホのバイブ音が鳴る。ロック画面をちらっと確認すると化野から連絡がきていた。〝今どこいんの〟今は、返信が返せなさそうだ。……というか、あれ。化野はいつからスマホ持ち出したんだ?それに、なんで俺の連絡先を。そんなことを考えていると、江國から「入間くん!」と大声を出されて思わず声が出かけた。江國は俺に、何度か声を掛けていたらしい。「……私の話ちゃんと聞いてる?」江國が俺のスマホを覗き込んでくるものだから、思わず、声が上擦る。「あっ…、今すぐやめます」
「あら、自分で気付けてえらいね?」
「えっと、」
「ふふ、いいよ♡」「でも、次からは気を付けてね?歩きスマホって危険なんだから……入間くんの為に言ってるのよ。何か事故が起きたら悲しいもの」「ごもっともです」「それに、私はもう慣れてるけど、誰かといる時にスマホ見てるのってすごく失礼よ。お話しちゃんと聞いてくれてるのかなって思っちゃうから」「気を付けます」「えらいえらい♡」江國は俺がスマホをしまうのを見ながらこんなことを話す。「なんだかこのやり取り、前にもあったね」
「……、確かに」
「あはは、懐かしい」
「ああ」お互いに小さく笑い出す。✧俺は、誰かと一緒にいても、何をしていてもずっとスマホを見ていた。勉強会や塾の帰り道でも、スマホの画面をずっと、見ながら歩いていた。「もうっ、聞いてよ入間くん」隣では、江國がほっぺをぷっくりさせて怒っていた。家も近所で同じ塾に通っていたから、学校の帰りや、塾の帰りは一緒になることも多くて、そうして気付けば一緒に帰ることが多くなった。「先生ったら、私になんでも頼み事してくるの。人使いが荒くてやんなっちゃう。私のこと、なんだと思ってんだーって」俺は、江國と話す話題をスマホで探していた。そこで江國は画面をチラッと見てくる。「あ、」
「あらあら、そんな真剣な表情して。」
「いや、違……、」
「どうして画面を隠すの?えっちなものでも見てたのかな」そう言われてドキッとする。「見てない、です」
「私はお邪魔だったかな」くすくすそう言いながらそんなことない、と首を横に振ると、江國はにこりと笑う。恐らく、江國にスマホの中身を見られた。「歩きスマホって危険なんだよ。入間くんの為に言ってるの。それにね、お話しをしてる間は、スマホは見ないで欲しいの。一緒にいてもつまんないのかなあって私なら思っちゃうかも」「確…かに。やめます」
「ふふ、ありがとう」すごく正論だった。俺は、話すのが得意じゃないから、話せない間すごく不安になって、焦燥感が激しくなる。それを抑え込む為に、何か話せる話題がないか、スマホから情報を得たりしていた。酷い時はずっとイヤホンをして、話すことすら拒絶していたから。そんなこともあった。✦なんとなく、あの時のことを聞いてみたくなった。「……江國……勉強会のこと覚えてるか」
「勉強会のこと?ああ、懐かしいなあ……入間くんがお絵描きが好きだ知らなかったのよね、私。」
「その……」
「ほんと、入間くんはなんでもできるのね、すごいすごい♡」
「江國……あの……それは……忘れてくれないか」
「あら、どうして?上手にお絵描きできてすごいじゃない!私はあんまり得意じゃないから尊敬しちゃう」
「ッ……」
「生徒会のお仕事はどう?入間くんならきっと大丈夫よ」「……」化野が俺の様子を見て、江國に話し掛けた。「あらごめんなさい!ずっと気付かなかったなんて!すごく失礼なこと……私は江國紗代子、あなたは?」江國の目線の先には化野がいた。「いいよ江國ちゃん。俺は化野」
「化野くん。あなたは入間くんのお友達?」
「うん」それを聞くと、江國は目に涙を溜めていた。「そっか、入間くんにも友達と呼べる人が出来たんだね……よかった。ううん、自分のことのように嬉しいの。」江國はハッとする、「どうして私の名前を……」と聞きかけて、化野が入間から名前を聞いたからと説明した。それを聞いた江國は、そうなのと納得した。「そうだ。少しね、入間くんとお話しをして欲しい人がいるの。前にあった、例のあの事件についての。」江國は真剣な顔で話し始める。「ごめんなさい。嫌なこと、思い出させちゃうかもしれない。けど、入間くんの言うことが本当なら、絶対に何かの手掛かりになると思うの。どうか、協力してくれないかしら。」「もしかしたら、今回起きた事件と何かしら関係性があるんじゃないかって話になってきているの」「そんなことないだろ。全部、俺の妄想なんだから……。」
「だけど入間くん、確か前に宇宙人を見たことがあるって言ってたじゃない。それでね、同じことを言ってる人が私のお友達に一人いるの。」そんなことあるわけ、ない。そうだ。なのに。まさか俺と同じように宇宙人を見た事がある人物がいるなんて。「それでね、今度もしよかったらこっちの学園に遊びに来て欲しいの」
「どうすんの入間」それを聞かれたが、別に生徒会の仕事内容も、塾も忙しいわけではない。「ああ、わかった」
「化野くんもぜひ」そういうと、化野は「入間が行くなら」と言ってついてくるようだった。「協力してくれる人が多い方が助かるわ。それじゃあまたね、入間くん。緒環くんにもよろしく伝えておいて。」江國が笑顔で優雅に手を振る。後ろ姿を呆然と眺めていた。あんな事件が起きたのに、そのことで疎遠になっていた幼馴染二人と、また話す機会が出来てしまった。なんて、皮肉なことだと思った。「入間、前」前に電柱が迫ってきていたのに気付かず、危うくぶつかりそうになった。「なんか顔色悪い?」顔を覗かれて背後に一歩引く。そんなにだったかと無視をして横から抜けた。真っ黒な目と目があってゾワッとした。何も映らない分不気味に感じた。「楽しくなってきそうだね。これから」そう言って後ろをついてきた。休み時間にある記事を見ていた。他校の掲示板のようなものだろうか。江國の通う高校のオカルト研究部部長を名乗る人だった。「〝この事件はもしかしたら、宇宙人の仕業かもしれない〟だって」化野はそう言うと背後からスマホの中身を見ていた。勝手に見るなと言うと化野はそれを見て口元だけ楽しそうに笑っていたのだから意味が分からなかった。
まあ、意味なんか分かるはずがない。✦✦03話 従兄妹《終》公開日 2025.05.03
───────04話 誕生日もう慣れた。一人でいることにも。あの時江國は俺に何も言わなかったし、何も聞かなかった。ただただ察したのか、申し訳なさそうな顔をしていた。それが余計に苦しかった。俺は何も言わずにその場を立ち去った。深々と降り積もる雪の中、車に乗った。そのまま両親とも目を合わせられなかった。「貴方ならきっと出来るよ。大丈夫。」もう、聞き飽きた。出来ていれば俺は今頃、こんなことになっていない。両親、江國、担任、主治医の先生。みんなの期待を、裏切ってしまった。失望させてしまったんだ。
いっぱい頑張ったんだ、自分なりに頑張ってきたんだ。これでも。だけど、結局は全部、俺の努力不足のせいだ。情けなくて、情けなくて。
顔を合わせられなかった。✦夜も更けた頃。俺はいつものように寝る準備を済ませる。後はもう寝るだけ。そっと机にある、あるものを手に取る。その時ちょうど、部屋のドアが開いたので思わず伏せた。「化野、勝手に部屋に入るなって」化野は俺の言うことを無視して、目線の先にいる生き物に「こっちおいで」と呼び掛けている。四つん這いになって化野が呼ぶ先にいるのは、猫のシロだ。
シロは首輪の鈴をチリチリ鳴らしながら覚束ない足取りでてちてちと化野の元へと歩いていく。「この子いつからいるの」
「お前が住み着く二日前」四月に入る前。あの日は確か大雨が降っていたんだよな。三月は天候が崩れやすくて雨の日が続いていた。「この子名前なんていうの」
「シロ。すごく、白いから」
「しろちゃん」化野は「しろちゃん」と少し離れて名前を呼んだり、自身の服の袖を伸ばしてそれをフリフリと軽く揺らしてこちらへと来るように誘導していた。シロは、まだ小さい子猫だ。シロを見つけたその日、すぐに病院に連れていった。幸いなんの感染症にもかかっておらず、病気も見当たらなかった。最初はそういう施設に預けようとした。連絡して引き取ってもらう段階で、いつもシロはこの場所に何度も戻ってきてしまうのだ。だから、もう諦めて俺がこの手で面倒を見ることにしたんだ。もちろん、親には黙って飼っている。「化野、シロと遊んでくれるのはいいんだが、夜はあまり大きな物音を立てないでくれ。お前も含めて本当はペットもここで飼っちゃだめなんだ。バレたらタダじゃ済まないと思う」それを聞くと化野は、笑ってこう言う。「はは。入間ってさ、案外真面目じゃないよな」
「……」人のこと言えないけど、お前に言われたくない。化野は「言われなくてもわかってるよ」と言ってシロを撫でて、そうして抱きかかえて笑っていた。シロはゴロゴロと喉を鳴らしながら、腕の中で大人しくなっている。シロは、この家に訪れたときからあまり積極的に鳴かなかった。そういった大人しい性格なのかもしれない。「人間って全身が毛だらけの生命体、好きだよね。それって俺が人型好きなのと同じ感覚?」
「化野だって人型なのにな」そう言われると、突然熱く反論しだす。「違うな。逆にさ、入間は猫みたいになりたいって思わないの?そういうことだよ。俺は好きすぎてこの姿になっちゃったんだよ。道理が通ってるだろ」なんだよ、そんなに熱く語ることなのか。ただまあ確かに、その気持ちは少しだけ分かる。いつでも自分のなりたい姿や、好きな姿になれるって羨ましくもある。俺だって猫になれるというなら一度だけでもいいからなってみたいと思う。ただその後を考えると面倒くさいし、行方不明者だって思われて、捜索されそうだから、やっぱり俺はこのままでいい。「お望みなら、猫になってもいいよ」
「いや、大丈夫」化野は相変わらず俺の反応を面白がっている。一体何がそんなに面白いのか分からないが、俺の反応が、どうやらツボらしい。化野が笑うとシロがもぞもぞし出す。それを見ると「ごめんね」と謝り、撫でていた。そのまま立ち上がって赤ちゃんをあやすみたいに揺れたり動き回っていた。化野はちゃんとシロのことを可愛がっている。確かに人型が好きなんだろうが、猫という生き物が嫌いというわけでもなさそうだ。化野は机の上にあるものに、チラッと目をやる。「俺がくる前なにしてたの」
「…ッ、あ、それ、見るな」化野が、それを手に取ろうとするから、俺が焦ってベッドから起きようとすると化野は咄嗟に「見ないよ」と言う。その直後だった。「ねえ」
「今度はどうした」
「なんかきてるよ」机の上に置いていたスマホの画面が明るくなる。化野が俺のスマホを覗き込んでいる。「確認しようよ」化野が何度も俺にそう促す。いつもだったらそんなに聞いてこないのにな。別に後ででもいいが……、化野があまりにもしつこいから渋々起き上がって確認してみると、三件のメッセージが届いていた。『いつくんの住んでる場所の付近で、大きな事件があったって聞いて』
『すごく心配になっちゃったの』
『今度、ママに元気な顔見せにきてね』それは、母さんからだった。「……、母さん」
「入間の家族?」
「ああ」化野は俺の気持ちなんかお構い無しに、勝手に指で操作する。スワイプしてメッセージを遡っている。別に見られちゃいけないものもないけど、俺にはプライバシーもないのか。『いつくん18歳のお誕生日だね、おめでとう』
『お誕生日のお祝いしたいから、もし時間が空いていたら、今度お家に戻ってきてね』
『ママ、その時はいつくんが大好きなハンバーグ作ってご馳走するね』……これは4月2日。化野と出会う前の、お昼頃にきていたメッセージだ。ああ、そういえばそんなメッセージがきていたような気がしたな。「家族と仲良いね」
「……そうだな」家族仲は、悪くない。母さんも父さんも仲が悪いってわけじゃない。俺も両親から何か暴力を振るわれたとか、ネグレクトされたとか、そんな扱いを受けたこともない。俺自身も、ただただどこにでもある普通の家庭だと思う。俺は両親から愛されてないとも、思ったことがないし、むしろ恵まれている方だと思う。今のこの環境だって、俺が言い出したことだ。俺のわがままを、了承してもらえている状況だ。どんなやり取りをしていたかなんか忘れていたが、化野に質問されて、あまり返せてなかったことを思い出した。俺のスマホは化野に人質に取られていた。俺のスマホをずっと見てる。人にスマホを取られている時って、なんだか、息苦しい。「言葉、返さないの?」
「返信してるのもある」そうしてスワイプして見せる。これは、一人暮らしをしたいって無理言ってお願いした時のやつだ。『本当に一人で大丈夫かな』
『ママ、とっても心配です』
『何かあったら、すぐに教えてね』
『ママはね、いつくんの味方だよ』
『頑張ってるいつくんは素敵だけど、無理はしないでね』
『たまにご飯を食べに戻ってきてね』「大丈夫です」
「ありがとうございます」社会経験じゃないけど、親に頼ってばかりの生活に後ろめたさを感じて、俺が提案したんだ。両親に借金することになったけど、いつか良い大学に入学して奨学金と一緒に親にも返済するつもりだ。バイトもしていたんだが、今年から受験生ということもあって、父さんからは返さなくていいから勉強に専念しろと言われ、バイトは去年から辞めさせられた。「これだけ?」
「親に心配、かけられないし」その後も母さんからはよく、ポツポツとメッセージが来ていたが、既読だけしてなにも送らないこともザラにある。『今日はたんぽぽが咲いていたね』『そっちも雪は降ってるかな』
『ママ、毛糸でこんなもの作ってみました。手作りのマフラー、郵送しておきます』『明けましておめでとうございます』中には写真と一緒に送られてるものもあった。化野はへーと言いながら淡々とやり取りを見ていた。何か言いたげだった。「いいけどさ」
「なんだ」
「お前の返信なんか寂しいよ。こんなに送ってくれてるのに、何も言ってあげないなんてさ」
「……」そんなこと言われたって、なんて返せばいいか分からないしな。母さんのこと、別に嫌いとかじゃない。ただ、なんとなく。どうでもよかった。送りたいなら送ればいいだろうし、拒否してるわけじゃない。そんなに俺は、おかしいことしているだろうか。「何をどう言えばいいかわからない」
「だからってこんなことになるんだ」……お前には関係ないだろ。そういって机に戻すように促すと、化野はスマホを机の上に置いた。
そう思うのなら、化野はそうすればいい。……そういえばなんで化野は俺にメッセージ送ってこれたんだ?化野がスマホを所持してるところなんか見てない。盗んだりとかしたら俺が面倒くさいから、把握しておかなければ。って、なんで俺が化野の管理をしてないといけないんだ。「化野、そういえばこの間俺に連絡してこなかったか」どうやってやったんだと聞くと化野は「ああ」と答えた後に、パソコンを指差す。「それ、パソコンから送ったやつだ。色々調べたんだよ。それでそこからでも返信できるって知ってさ」
「……勝手に起動させたのか。それだって俺のパソコンだろ。使ってもいいかとか何か俺に言ってくれよ」俺はただ使いたいのならまず俺からの承諾を得てくれって言ってるだけだ。それは看過できない。化野は少し「えー」って不服そうな顔をする。子供じゃないんだから。「そんなこといってこの間スマホで調べものしようとしたら、慌ててスマホ取り上げられたけど」ドキッとする。「いや、……」
「アルバム、写真。それか検索履歴」化野が淡々と単語の羅列をいう。化野は俺の顔だけをジッと見つめてくる。俺の表情の変化を見逃さないように。というか、なんでそれを。そんな俺の心情を見透かしてるみたいに、「どれだろうなあ」と悪い顔してクスクスと笑い出す。「み、見てない、よな」
「見てないよ。でも、」なんとなく?と首を傾げて答える。急にドッと冷や汗をかく。……見られちゃだめなんだ、あれは。「わ、わかった、わかったから……。俺が寝てる間に何かするのやめてくれ。それと、関係ないことには首突っ込んでこないでくれ。お前に迷惑かけてるわけでもないだろ」管轄外のところで何かされるのが一番、嫌だ。どうすることもできないし。「なにをそんなに焦ってんの」
「え、いや。」化野は「はは。やめるよ」と淡々と答えた後で、「あ」と大袈裟に声をあげる。今度は一体なんだ。「もう寝る時間だ」
「……は、」
「それじゃあ、おやすみ」
「……ああ」「いこうね」化野はシロに向かってそう言い、抱きかかえたままダイニングに戻っていった。そうしてゆっくりドアが閉まった。その後になって、気付く。化野はいつも、どうやってスマホやパソコンのパスワードを解除してるんだ。✦化野はここ最近、バイトを始めたらしい。そうなると家にいても、一人の時間が増えて気が楽になった。夕方もいないことが多く、俺が寝る時間まで帰ってこないこともあった。化野がいない部屋は広く感じて快適だった。この部屋はこんなに広かったのか。一人でお風呂に入れるし、ご飯が食べられるし、スマホで動画を淡々と眺められるし、化野が家にきてからいかに自分が家の中でも緊張していたのか分かった。ずっと、これがいい。俺はきっと、誰かと一緒にいることに向いてない。寝る準備をした後で、玄関のドアが開く音がした。化野が帰ってきたのか。「ただいま」
「俺はもう寝るけど」
「そっか、おやすみ」化野はそのまま部屋のドアを閉める。ドアの隙間からダイニングの光が漏れ出していたが、それも消える。化野は、暗い中にいても平気なのかもしれない。一人でいる方が、気が楽だ。この先もずっと友達なんていらないし、現状に満足してる。一人が悪いことみたいな風潮も苦手だし、そういう人間がいたっていいのに。今もずっと友達と呼べるような人はいないし。それでいい。俺はそれを選んでいる。……そう、思える人はいいよな。そういう人は。俺もそうなれたらよかった。そう思うと俺は強くない。中途半端で、集団の中で一人でいるとちょっと揺らぐ。浮くのが怖い。みんなと同じでいたい。本当は、……本当は。人との関わり方がよく分からないだけだ。でもやっぱり一人でいる方が気が楽で、少し寂しい。俺はスマホでSNSに触れる。そうするとどこかその感情が紛れるような気がした。中の人の私生活が不明な人も多いから、知らなければ傷付くこともない。知っていたとしても目の前に存在しないからどうでもよかった。それに何より共通の話題で盛り上がれる。自分が見たいものだけ見れて、対人じゃ苦しくなる空気感もそこにはない。逃げ場が多くて、とにかく傷付くこともない。俺には閲覧するだけのアカウントがある。意見は言わないで、多くの人に反応するだけのもの。ジャンルは問わない。とにかくSNSで活動してる人だ。人前に立って、舞台に立って。頑張ってる人に向けてささやかだけど。この反応一つで誰かが励まされるのなら、と思っている。諦めないでほしくて、頑張れ、と思いながら。それが、現状俺の趣味なのかもしれない。俺には、みんなみたいに得意なことがないから。あの時も、そうだな。✧俺が何気なくSNSを眺めていた時だった。「入間が今見てたのって」
「ッ、」化野に画面を見られる。べ、別にやましい気持ちがあるわけじゃないけど、スマホを閉じてしまった。……今、何を見られた?「あの子の絵だ」何を言ってるのかさっぱり分からなかった。化野は一瞬でも何が写っているのか分かるみたいだ。ただなんとなく、有名な人の絵だというのは分かる。……いいよな、何かで大成してる人は。「これはあまり良くないな」性的な表現、官能的な描写、グロテスクなもの。そんなものは軒並み一切表示されないように設定されていたし、中学二年生の頃まで一切そういったものに触れてなかった。俺は、あの時……、そうして徐に要らないノートを引っ張り出して、描こうとして、やめる。自分のそういった、醜い欲求を解消させる為だけに絵を描くようになりました、なんて人には言えない。恥ずかしすぎる動機だ。耳まで熱くなってくる。そんな、俺の中に存在しているグロテスクな欲求を叶える為の手段に過ぎなかった。だから、他の頑張っている人にはすごく申し訳ないし、もちろん俺はそういう人たちと同じ場所にいるとも思ってない。人に見せるものじゃなくて、人の為になるものじゃなくて、誰に見せるものでもないけど。こんなものは、自分で自分を喜ばせる為の自慰行為でしかないのだから。それは薄汚れた、誰かにとってはゴミ同然。でも、自分の為の宝物のようなもの。✧江國は、俺になんの悪気もなく聞いてくる。「今でも描いてるの?」
「……描いてない」「どうしてやめちゃったの?お絵描き、上手にできてすごいじゃない!私は素敵だって思うけどなあ」
「……」
「私も小さい頃、やったことあるわ。それってお人形遊びみたいな感じよね。お人形に設定をつけて、物語を作ったりしたの。ふふ、それ楽しかったなあ」
「……」全部悪気ないって分かる。創作をしていない人からすると、そういう考え方になることも理解が出来たからだ。江國の言う通り所詮お絵描き程度。小さい子がやるお人形遊び。秀でて才能もないのに、継続もできない。努力できてる人は、俺とは違う。こんなことをやってる間、こんなことを考えている間。真面目に努力をしている人たちは、真っ直ぐに頑張って、そうしてたくさんの努力していて、それが確実に実を結んでいる。何かに特化してる人はいいんだ。自分は、自分みたいに何をやっても中途半端な奴のことだ。俺には、努力する才能もない奴のことだ。こんな俺だから、エリート校にも行けなかった。「入間くんって、なんでもできるのね、憧れちゃう♡私はね、入間くんみたいにね、お絵描き上手にできないから……」やめてくれ。もうやめてくれ。やめてくれよ。俺は、江國みたいに、一つのことに何も頑張っていない。頑張れていないんだ。江國みたいに……。だめだ……俺、なんか……どうしよう、気持ち悪くなってきた。「……はあ、はあ」
「あら、大丈夫?」もう、そう言われた時からずっと恥ずかしかった。その日から、描くのをやめた。
自分には才能もなかったから。違う。別に押し付けたかったわけじゃない。他人に迷惑かけたいなんて思わないんだ。ただ普通に生きて、気付いたらそれをしていて、好きだったのがそれだったんだ。ああ恥ずかしい。それは表で話せないことでも。SNSを見たらなんとなく安心したんだ。俺と同じ人を見た時に、世界に一人じゃないって安心できたんだ。それを作る人見る人がいるってことが心の支えになっていたこと。分かっている。でもそれに甘えてばかりじゃだめだ。
何一つ誇れないだろう、こんなもの。どうして自分はこうなんだ。
どうして、自分は、いつも。なぜそれが好きなのか。俺にもわからないんだ。俺だって知りたいんだ。でもそれを探すことも許されないだろう。俺を知れば、皆気持ち悪いと思うだろう。自分の努力が足りないから悪いのか。それなら人一倍努力すればいいだけだ。
いつか好きになれるように。自分を好きになれるように。前を向いて歩けるように。みんなと同じものを好きになれるように、もっともっと真っ当に成長して生きよう。もっとみんなと同じになりたい。みんなと。みんなとただ、仲良くなりたいから。俺は、やめることにした。✧なんだ、今の。断片的な記憶。どうしてこんなことを思い出してしまったんだろう。夜に限って。いいことだけを思い出させてくれ。そう願うのに。まるで、そんなもの初めからなかったみたいだ。されども一向に眠気は訪れない。胸の辺りが異様に気持ち悪い。先程よりももっともっと酷くなっている気がする。……〝処方箋〟が目についた。それに手を伸ばす。ゆっくり、手を伸ばす。でも、「あ、」誤って落としてしまい、机の隙間にするりと落ちてしまった。✦六月の初旬。化野から連絡がきた。〝 今日は早く帰ってきてね 〟これはパソコンから打ってるはずだ。つまり、家にいるということなのだろう。学校で伝えればいいのにどうしてこんな周りくどいことをするんだろうな。仕方がないから今日は真っ直ぐ家に帰ろう。特に用事もなかったし、化野とすれ違いが起きたら面倒くさいしな。「誕生日おめでとう。」「遅くなっちゃったけど」化野は、そう言って背後に隠していたケーキを取り出した。人間の通貨を所持していなかったから、このサプライズの為に必至にバイトしていたらしい。
二人だけの暗い部屋に、小さな蝋燭を灯した。でも俺は、それを見るなり、無言で寝室へと向かった。誕生日を、祝われることなんてなかった。新学期が始まる前だし、仕方がない。でも、それがよかった。変に気を遣われるのが苦手だし、祝われるとどう反応していいか分からないし、何の為にこんなものが存在しているのか分からない。「4月2日なんだろ、誕生日」「懐かしいなああの頃は、時間の大切さとかよく分からなかったからなあ」と話している。それに関してはよく分からなかったが、きっと、この間の母親からのメッセージを見てだろうなと思った。面倒くさい奴に見つかった。あれから急にバイトしだしたからわかりやすいな。「いい日に生まれたね」
「なにが」
「俺と入間が出会った記念日」それはすごく、拒絶したかった。「記念日祝いの方に変更してもいいよ」
「それなら、誕生日の方がマシ」「そう。」と化野は上機嫌に笑っていた。かと思えば、突然こんなことを言い出す。「ああ。そういや、あの時思い出したものがあったよ」何を、と聞く前に化野が被せて話し出す。「入間が突然何も言わずに走り去っちゃった時に、これ何かで見たことがあったなーってさ。地球の創作物に不思議のアリスって物語があるだろ。」〝退屈をしていたアリスは面白いものを見つけたと言わんばかりに、白うさぎを追いかけることにしました。 野原を横切って茂みの中に入った白うさぎは、大きな穴に飛び込みました。 アリスも後を追いかけ穴に飛び込みます。〟「あれでさ、うさぎが走っていくシーンがあるんだよ。それを思い出してさ、俺もあんな感じで後ろを着いて行ったんだ。そしたら律儀に、入間が俺を家まで案内してくれたからさ。」「違う」
「え、違った?」俺はあの時お前から逃げようとしたんだ。今になったら、悪手だと思う。こんなことになるんだから。俺の人生の分岐点は、恐らくあそこだろうな「それは、お前の勘違いだよ」
「はは、そうなの。それは、残念だった」俺は化野の言葉を無視してそのまま部屋へと向かう。「無視、しないでよ。」その言葉すらも無視をした。あまりにもしつこくついてくるもんだから、手で払い退けると、化野は「あ、」と声を出す。ケーキが床へと零れ落ちてしまった。……やってしまった、と思った。分かってた。俺が悪いって分かってたのに。口から出た言葉は俺の気持ちに反していた。「嫌がらせか? なら、やめてくれよ。」
「そんなわけない」
「一人にしてくれ。もう、放っておいてくれ。」そう言っても、化野は俺の後ろをついてくる。「いい加減にしろって! うざいな、お前」化野の胸倉を引っ張る。化野は微笑んでいた。「やっと、俺の方見てくれた」あの時と同じ。お前と出会った時の顔だ。「ね、優しくして。服が伸びちゃう」
「……」手を離す。「こういう時しか、ないからさ。」
「は、」
「入間が俺のこと見てくれるの。」
「気持ち悪いんだな、お前」「俺なんて生まれてこなければよかったって思ってんだろ」つい、そう言ってしまった。分かっているのに、化野の言葉を、脳が拒絶する。「お前が、お前自身にそう思ってるんだろ」化野はいつでも淡々と、淡々としている。自分の考えを述べてる時も。ずっと、ずっと。「俺はそうは思わないよ」
「……」
「少なくとも俺は入間に会えてよかったって思うから」そうか、今になってようやく、わかった。そう分かった頃には勢い余って頬をぶっ叩いてしまっていた。それと同時に、フラッシュバックした。俺も、俺も昔。咲紀に頬を叩かれたことがある。気付けば俺も、同じことを化野にしている。どうして。……わかるんだ。言葉としては、これ以上ない。
言われて嬉しい言葉。なのに納得いかないもの。生物としての熱なんてそこにない。
温度差を感じた。俺だけみたいだ。
この部屋の中で、俺だけ。それが、妙に悲しかった。この感覚。分かる。まるであの時の俺だったのか、咲紀。化野は叩かれた頬に手を当てて、微笑んでいた。「俺のこと、怖いの。俺のこと、嫌いなの。俺が宇宙人だから?俺の買ったケーキは食べられない?俺のこと信じられないから?」「……ッ、あ」「俺が人間じゃないから?」「いや、」「宇宙人は、人を殺すの?」俺が、化野に当たりがキツイのは、化野が宇宙人だから?俺が初めから化野を疑っているから?化野は真っ直ぐに俺の方を向いて、そうしてゆっくり、ゆっくりと歩み寄ってくる。化野の顔に影が落ちて、目は塗り潰されているみたいだった。これは、この感覚は、化野と出会った時と全く同じ状況だった。でも、今回は違った。「そうだよ、俺は人間じゃないよ。」「化野、」「どうせ俺は人間じゃないから、さ。」そうすると、化野の背後から真っ黒な触手が伸びてくる。化野は触手を、こちらにゆっくり伸ばしてくる。逃げ場なんてない。穏やかに、首を絞められて、殺されるような感覚。そうだよな、生かしておく必要がないもんな。そうだよ、そのまま乗っ取ってしまえばいい。化野は初めから俺に従う必要なんかなかった。いつかこうなるって、思っていたんだ。
俺は、ここできっと、化野に殺される。✧思い出す。それは今回の事件とは別に、過去に宇宙人に遭遇したことだ。中学三年生のあの日、俺と咲紀は宇宙人に遭遇した。目の前に、宇宙人が現れ突然襲撃に遭った。植物状態にさせられるほどの重傷を負った卯崎とは真逆に、俺は、額を縫うくらいの軽い傷で済んでしまった。咲紀はあの日から目を覚まさなくなった。俺が命を賭けて守れなかったからだ。咲紀は入退院を繰り返していて、ほとんど病院に入院していた。家に帰れる時は、俺が車椅子を押して色んな場所へと連れていった。咲紀はいつも「いつか兄さんの隣を歩きたい」と笑って話してくれた。いつも、咲紀の両親から外出許可を取っていた。だからこそ、俺は疑わしい。咲紀の両親だけじゃない。俺の両親や、その他の周囲から叱責を受けた。咲紀は、数年に一度ある、七夕の日に満月がある日があることを、俺に教えてくれていた。俺と一緒にそれが見たいのだと言っていた。今日がまさにその日だった。咲紀は俺に、長く生きられないかもしれない。と言っていた。それなら、今がその、大切な日だと思った。俺はそれをどうにか叶えさせてあげたかった。でも、全部全部俺が悪い。こうなってしまったのも俺の注意不足だった。俺は結局、宇宙人のせいにして、責任から逃げてるだけなんだって。咲紀と一緒に屋上に上がった。「兄さん、月がこんなに近くにある。手が届きそうだよ」「兄さん知ってた?人魚姫はね、海の底から、水面に映る月を、本物の月だと思っていたの。でも、それは偽物の月だったって、王子様に出会ったことでそれに気付けたんだって。
そうして、空に浮かぶ月を眺めながら王子様のことを月に例えたの。どれだけ近付いても、手には届かない存在だったから」「兄さんは、水面に映る月みたい。本物の月みたいに遠すぎないの。手に届く場所にいてくれる。そうして私を照らしてくれる。月の光は水底まで届いて、私を導いてくれる。」「人間がそんなこと思っている間、今頃織姫と彦星が出会えてるの。なんだか素敵だね。」海。深海。カウンターイルミネーション。
もしかして、化野の姿が一瞬消えるのは。宇宙人が、嫌いなんかじゃないんだ。化野。
本当に嫌いなのは。宇宙人のせいにした、俺自身だったんだ。✧顔の前に影が落ちる。俺の直前で止まる。「触って」「怖くないよ」化野は、ぬったりと触手の先をぴたぴたと数回当ててから、そうして、俺が拒絶しないと分かると、その接着面を少しずつ増やしていった。優しく、強引に。頬に当てて、そうして撫でてくる。初めて肌に触れられた。生暖かくて、気持ちの悪い、感触だった。「……ッ やめ、」声を出すと、化野は少し驚いたみたいに離れて、また、恐る恐る、先を当ててからゆっくりと触ってくる。そんなことを、何度も繰り返された。「……ああ、……はあ。」化野は、ギラギラした目で恍惚とした表情を浮かべながら、数回、声を漏らしていた。「ね、痛くないよ」
「触るなって、」「痛くしてないでしょ」
「触んないでくれよ!」「だって!」化野が声を荒げる。その後ですぐにごめん、と呟く。「こうでもしないと、分かってくれないから」
「……」いや、なんで。なんでお前が、怒るんだよ。
普通逆だろ。長くてしつこくて、最初はやめて欲しいって何度も伝えてたけど、声を上げるだけ体力が減っていく。無駄だって気付いた。その時になると、俺は自分で分かるくらい疲弊していた。化野は俺のことを、何度も触手の先の腹で撫でてくる。吸盤が、俺の肌に吸い付いてきて、「うう!」と、畏怖で声が出た。「う、気持ち悪い……ッ」「なんで、こんな、」吸い付いては離れる。ぬぷちゅ、ぬぷちゅ、と水音を立てる。吸盤はそれぞれが意思を持っているみたいにそれぞれが蠢いていて、小さな伸縮を繰り返している。拍動みたいで、とにかく、気持ち悪かった。「いたい?」「慣れてきた?」「あったかいね?」化野は、そんなことを俺にいってくる。この感触、慣れるわけない。触手は、それぞれに命があるみたいに、うねるようにしてどくどくと脈打っていた。「触ってみ」俺は一体、何をさせられているんだよ……。「入間の方から触って」こんな。こんなことされる為に生まれてきたわけじゃないのに。化野が俺の前にしゃがみ込んで無理矢理手首を掴んで、触るように促してくる。触るか触らないかは、俺に一任していた。気持ちが悪い。早く終わらせて欲しかった俺は、恐る恐る、指の腹で触る、吸盤の感触が好きじゃない。そこでなぜか、触手の先に吸盤がついてないものが一つだけあった。「それね、交接腕」「気になっちゃった?」と聞かれたけど、分からない。そんな種類の腕もあるんだな、くらいに思っていて、心底どうでもよかった。俺が指先で触れた瞬間、化野の触手はびく、と動く。そのままぎゅ、と鷲掴むように握ると「んぐ、」と声を出して触手の先端だけが、びく、びく、と激しく反応し出す。「優しくしてよ」
「は、」次第に触手全体がぬとぬとしてきて、それがあまりにも気持ち悪くて、すぐに手を離した。ツーと糸を引いて床に垂れていた。「ああびっくりした」いきなり強く握るから、と焦っていた。化野はすこし恥ずかしそうだった。もう、一体なんなんだよ。お前から触るように促してきたんだろ。ふざけんなよ、意味が分からない。「もう、いい。いいって、わかったから」
「入間、」「わかった」と、化野は触手を俺から離す。「触手の方が五感が研ぎ澄まされているから、敏感なんだよね。この部分から味覚やその他の感覚を認識してるから。この肉体でいると、その辺の感覚がどうしてもズレちゃうんだ。鈍感になるっていうかね。だから痛覚も人より鈍いと思う。より繊細に感じ取らなくちゃいけない時とかはこの触手で触れて補ってる。諸々を調節する為の役割があるんだ。乾いちゃいけないのは、感覚が鈍っちゃって感じ取れなくなるから」化野はそんなようなことを説明していたけどさっぱりだった。化野は、「人間は寒いと手が悴んでうまく動かなかったり、痺れたら麻痺した感じになるでしょ、俺たちにとって乾くってそんな感じかも」とそう言う。「からだが、これが何か感じ取ろうってすると自然と粘液が滲み出る仕組みになってる。びっくりした?」
「気持ち悪かった」
「でもさこれでわかったよね、触手が気持ち悪いだけで怖くないこと」
「……」
「俺入間のこと傷付けたかな」確かに何もなかった。でもどこか心が擦り減った感覚はあった。化野は俺の顔を見るなり、安堵して、そうして次第に顔を赤くする。「化野、お前さ」その表情の意味がわからなかった。化野は笑いながら目から溢れるそれを手のひらで受け止めていた。「……は、いや。急にどうした」めちゃくちゃびっくりした。化野が泣いてるところなんか見たことなかったから。「めっちゃ、緊張したんだよ。上手く制御できなくて傷付けたらどうしようって、優しくできなかったらどうしようって思った。」化野は焦った口調で、早口でそういう。化野にとってはすごく勇気のいることで、すごく怖かったらしい。触手に触れさせるってことがどれほど緊張することか、俺には分からなかったけど、化野なりに、理解を深めたくて頑張っていたというのは伝わった。触手のあの気持ち悪い動きも、人間からしたら指先でゆっくりと、力を込めすぎて、もしくは緊張で震えながら慎重に触れてるだけだったのかもしれない。「入間が過去に触手に傷付けられたって言ったから。俺は、入間に大丈夫だよって確認させたくて。
……嫌いにはなってないだろ。怖いって思わないだろ。気持ち悪いくらいだろ」「……そうだな。気持ち悪いくらいだな」化野は俺の言葉に安堵したみたいに笑ってた。✦後日、呼び出し音が鳴る。ドアを開けると、そこにはなぜか母さんがいた。「いつくん」
「母さん、」心配したような様子で、母さんが玄関前に立っている。どうして、母さんがここに。「どうしました?何の用が……」
「ごめんなさい、いつくん嫌がると思ったんだけど、やっぱり心配になっちゃったの。ここ、事件現場から近いから」母さんは、ずっと、何かを言いたげだった。「……本当に、何もないのよね?」
「俺は、大丈夫です」
「しばらくまた、こっちで暮らそう?」
「でも……、」俺は確かに、両親にわがまま言ってる。バイトしながら二年間この部屋に住んでいた。学校から近いからっていうのもあった、けど。「ああ。そうだ、これ」良かったら、と言って、大きめの箱を差し出された。母さんは手作りの何かを作ってくれたみたいだ。「とりあえず、家に上がって」母さんはそれを聞くと「あらいいの?」と聞いてくるから「うん」と返事すれば、途端に表情が明るくなった。ここまで来てもらったのに、立ちっぱなしも疲れるだろうし。そうして、靴を脱いで部屋を上がる。母さんはダイニングの椅子に腰掛けていた。俺が水出しのお茶を目の前に置くと「そんな、気を遣わなくていいのに」と最初は断っていたけど、「……ママ喉乾いてたの。少し、暑くなってきたから……昔から気が効くのね、ありがとう」と笑っている。その後で部屋をきょろきょろを見渡している。「お部屋、きれいにしてるのね」
「はあ、まあ」あまり物を買わないし置かないから、新居同等だった。その実、大雑把に押し入れに仕舞い込んでいるだけでそれを片付けているとは言えないかもしれない。母さんは俺の顔を見るなり、寂しそうな表情を浮かべた。「いつくん、18歳のお誕生日祝えなくてごめんね」
「母さん」「いつくんは、一人でなんでもできちゃうじゃない。昔からちょっとだけ、神経質になりすぎちゃうところもあるけど。ママはそんなところも大好きよ。いつくんが無事ここまで成長してくれて嬉しいの」そう、母さんは俺のことをすごく心配してるってわかってる。分かってはいるのに。「ママね、いつくんが一人暮らししたいって言った時ね、大人になっちゃったんだって思った。バイトしながらなんて大変だと思ったし、やらなくていいって言ったけど、でもそれでもしたいって言ったじゃない。その時に、止める理由がなかったの」「きっとね、ママが寂しかったの」
「ごめん、母さん」
「ううん。元気な姿が見れてよかった」「……さあ、湿気っぽい話は終わり!」母さんはそういうとパッと顔を明るくさせる。「これ、作ってきたの。いつくん好きよね」
「母さん」
「レンジでチンして、よく温めてから食べてね」やっぱり、母さんの手料理だった。「……ありがとうございます」
「いいの、ママの方こそありがとう。こんなものしか作れなくてごめんね。本当はね、ここで作りたかったんだけど、料理道具も何もないかもって思って……って、あれ?自炊始めたの?」「あ……」それは、俺は使ってなかった。化野がバイトで勝手に買って揃えたものだったからだ。俺は適当に返事をする。「あら〜!すごいじゃない本当に!」母さんにハグを求められて「すみません」と断る。「今日は元気な姿が見れて嬉しくなっちゃった。ママ、そろそろ、お暇しようかな」
「……今度、時間が空いたら家に帰るよ、母さん」
「あら、本当っ」そう言って、席を立とうとしたところ呼び止める。俺もちょうど思い出していた。俺の自室に置いてあるものだ。母さんは、よかった!と言って笑っている。玄関先で、そういえば思い出したんだけどね。と言い、母さんはこんなことを言い出す。「いつくん、この間お家まで来てたでしょ」「……え」その言葉に、心拍数が上がる。「その時ちょうどママ、シャワー浴びてて……。出られなかったんだけどね。窓からチラッと見えたの。いつくんの後ろ姿が見えて、それで。でもね、寂しくなったらいつでも帰ってきてね」それだけ言うと、「またね」と玄関のドアを閉める。おかしい。おかしい、おかしい。どういうことだ。俺は、一度も家には戻ってない。
それはきっと、何かの、見間違いだ。俺じゃない。それは。「入間のお母さんだろ。入間が、この前慌てて机の上に伏せてた写真に、写ってた人にそっくりだったね」
「……見てたのか」やっぱり、あの時見られていたんだ。「俺も行っていい?」化野がそう、俺に笑いかけてきた。✦✦04話 誕生日《終》公開日 2025.05.04
───────05話 白日夢ベッドに戻ると、ドアの方向から視線を感じる。斜め横に目を向けると、真っ暗な隙間に浮かんだ眼球と目が合う。「入間」思わず「うわ!」思わず声を上げる。ドアの隙間から化野が俺を見ていた。まさかとは思うが、ずっと俺のこと見ていたわけじゃない、よな。化野は、俺にバレたのを知ると、ドアを開けて部屋へと入ってくる。「人間って、寝なくて平気だっけ」化野は、「おいで」と俺をキッチンに呼ぶ。化野に呼ばれたが、行かなかった。……聞く必要もないから。俺がベッドの上にずっといると、「まってて」と言い、数分後化野が温かいココアを持ってきた。「温かい飲み物がいいってあったね」俺は即座に「いらない」と伝えたが、その言葉を聞かずに化野は俺にマグカップを持たせてくる。化野の手は側面の熱い部分をガッツリ持っていた。化野にとってこのくらいの熱は、どうってことないみたいだ。
「どう?」と俺に感想を求めてくる。「落ち着いた?」味は確かに、美味しい。というかインスタントだから間違えようがない。化野は、俺が寝ている間何かの本を読んでたらしい。自分のお金で買った本らしい。化野が俺の知らないところで何かしてるのは分かった。「俺はさ、地球の生活を何倍も詳しく知ってる地球人を飼っている地球外生命体の存在ってやつが、どうも気に食わないんだよ。だってさあ。どう考えてたって地球人の方が地球のことにも地球人のことにもずっと詳しいに決まってる。そこに生まれて、長く住んでるわけなんだから。例えば、病院に連れて行くってことすらわかってんのかなって思うんだよ。」「監禁してたら話は違うけど」そう言って、化野はたくさん分厚い本を持ってきた。料理、法律、生態、医学、生活、社会、歴史、心理学、赤ちゃんの本、身体の仕組み……「まずは人間の生活を知ろうって思って、色々ね」化野は、律儀に俺にそんなことを言ってくる。買った本、図書館で借りた本、様々だった。化野は俺が寝ている間、これらの本を永遠読んでいたらしい。「地球人の平均体温とか、どこまでを熱く感じてしまうのかとか」そういって、俺が片手で持ってるマグカップに指差す。俺は、気付かない内に哺乳類のミルクを人肌にして赤ちゃんが飲みやすいようになるまで冷ます、みたいなことをされていたらしい。「俺のこと好きになっちゃったね」
「全然」本当に、全然だった。それを聞いて安心したような顔で「だよね」と化野は笑った。「その方が、入間らしいよ。」あはは、と笑って頬杖をついたまま、俺が飲んでいる姿を淡々と眺めてくる。飲み終わるまで見てるつもりなのか?なんとなく申し訳なくて急いでゴクッと飲み干した。「そんなに焦んなくても、俺は取らないよ」化野にけらけら笑われる。化野のツボは相変わらず謎だった。なんとなく、人間が動物に向けるような笑みだ。馬鹿にされてるんだろうな。居心地悪いはずなのに、自然と嫌じゃなかった。化野にぎこちない気遣いをされた。そういう不器用なところはなんだか俺と似ていた。俺より、マシかもな。✦ここは電車で片道何時間かかかる場所にある、有名な心療内科だ。そこは、母の知り合いの人が勤めている。診察券を持って、待合室の椅子に腰を掛けた。俺が元々住んでいた地元である東月影市よりも遠い西月影市にある。工業地帯だが、なんなら、今住んでいる南月影市の学生アパートからの方が近い。BGMが物悲しい。診察室を出た後の患者は、情緒を乱していたり、涙を流しながら出てくる人もいた。ここ最近、頭の中がずっと、ぐらぐらする。「あの、処方箋を誤って廃棄してしまって。」
「そうだったんだね。それじゃあ、新しくお薬出しておくね。」「途中でやめるのは良くないってインターネットで見て、少し不安になってしまって。」
「うん。心の病はね、治ってるかどうかを自分では判断できないものだから、自己判断でやめるのはあまり良くはないかもね。ただ、処方される薬を少しずつ減らしていくことを最終目的にしたいね。」「薬を飲んだ後の調子はどうかな」
「すごく、調子が良いです」「それはよかった」と先生は笑ってくれた。頭の中が整頓されてすっきりしているような感じがした。頭の中を整理するのは自分だと思っていたし、みんなもそうやってるのだと思ってた。俺は、みんなよりも整頓するのが遅かった。いや、あることはみんなよりも早く処理できたけれど、もう片方は手をつけられなくてずっと散らかったまま、散らかったままどうすればいいのか分からない、そんな感じだった。整頓の仕方が分からない。それが、当たり前なのだと思っていた。でも、実際はそんなことなくて、みんなが見ていた世界とこんなに違うなんて知らなかった。「俺、生徒会長することになったんです」
「ええ、それはすごいね」
「みんなに頼って貰えて、嬉しいんです」
「高校生活最後だもんね」
「そうですね」
「頑張ってていい子だけど、あんまり無理はしちゃだめだよ」
「……、はい」その後の経過観察として度々このクリニックに行き、カウンセリングを受けていた。主治医の先生は何を言っても褒めてくれる。先生、すごく綺麗な人だ。安心感がある。先生は何十歳も年上だけど、俺は、先生みたいな人が好みだ。先生を見ていると、ドキドキする。左手の薬指を凝視する。俺は、ああ。その薬指に、俺が嵌めてあげたい。「先生は……、優しいんですね」
「君のこと、実の息子みたいに思ってるからかな」
「…そう、なん…ですか」
「実を言うとね、私には、娘がいたの」先生には、娘がいた。それに既婚者だ。俺のことは子供としか見られていない。それはそうだ。俺なんて相手にされない。分かってはいたけど少し落ち込んだ。「でもね、その子……ある日突然帰ってこなくなっちゃったの。先生が、悪いんだけどね。目を離した隙だった。今もずっと、行方不明なの。捜索してもらっているんだけど、いまだに見つからないの。だけどね、諦められなくて。戻ってこなくてもいいから、今もどこかで無事に生きていたら……って、思ってる。もう、十年以上前のことなんだ。ちょうど今頃、君と同い年くらいの子でね。だからだろうね」ごめんねこんな話しちゃって。そう言いながら笑っていたが、すごく、悲しそうだった。「最近、唯月くんの方で事件が起きてたでしょう。唯月くんに何かあったらって、心配で心配で仕方なかったから、顔が見れてよかった」
「先生……」……行方不明の、女の子。✦下校時、江國と待ち合わせをした場所に辿り着く。約束した通り、エリート校へ赴くことになった。「あら、化野くん」
「入間から話聞いてる。俺も行くよ、江國ちゃん」
「本当?心強いわ。ありがとう」化野と入間(過去の目撃者)、と今回の目撃者のみおり、その妹であるみやこを連れて、江國と一緒にエリート校へ。気付いたら化野が、別クラスの生徒みやこ(緒環と同じクラス)
と仲良くなっている。疑問に思うが、あまり深く考えない入間。エリート校に辿り着くと、正門に一人の女子生徒が立っている。恐らくオカルト研究部の部員だ。「御三方をお待ちしておりました。それでは、こちらに。」部室に辿り着くと、そこには部長である片瀬と、その隣に同じく部員である恋森がいた。遅れてきた一人の女子生徒。同じ制服を着ていた。そこに一人の女の子がいる。その子は俺たちと同じ月世高校の生徒。緒環と同じクラスの女子生徒だ。その子は、目撃情報を話した。「確かに、みやはその時お兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒にいたよ。お兄ちゃんの背中で何も見えなかったけれど、確かに見えたよ、触手みたいなものが。」それを聞いてその場にいたみんなが騒然とする。「みや、足がもつれちゃって、その場で倒れ込んじゃて、その時膝を擦り剥いちゃったんだ。お姉ちゃんが焦った感じで、手を引いてくれたのを覚えてるよ。」確かに、その女子生徒の膝には絆創膏があった。みおりとの話と照らし合わせ、矛盾が生じなかった為それは事実であったが、犯人の確たる証拠は掴めなかった。「うん、特徴が似てる。恐らく、僕たちが幼い頃に見たものと同じだ、これが、集団幻覚とかじゃないならね。」
「集団幻覚?」
「ああ。……そういえば、君は漫画を描いてるって聞いたよ。僕も見たことあったから」オカルト研究部の部長である、片瀬が、彼女に疑問を投げかける。そうすると、「お〜じさまだから」と答えた。それを聞いて、彼女は天然なのか少しだけ変わっている、と思った。兄を殺されているのに。栂宮さんが間違ってそれを聞いたら、何を思うだろう。「僕が考えているのは、宇宙人捕縛計画さ。無謀だと思うかい。」「馬鹿だな。何を言ってるのこの人たち」化野はそういって馬鹿にしたように笑っている。俺も、正直思った。馬鹿馬鹿しいと。だけど江國も、なぜか肯定的だった。江國も昔はもっと信じてすらなかった気がする。俺がいるから、気を遣っている……、とか。「入間くん、協力してあげましょう?」
「……。いや、」
「いいわよね?」
「はい」江國にそう言われると、俺はどうしても弱い。「入間、嫌だってさ。そもそも、トラウマがある人に協力をお願いするって酷いと思うけどなあ。悪いけど、俺たち二人は協力できないかな。」化野が俺の代わりにそんなことを言う。「入間くん、どうかな。頼むよ。せめて、目撃情報とかあればさ。」握手を求められて、握り返す。片瀬は「入間くん、ありがとう」といい、俺に優しく微笑む。「化野くん」
片瀬はにこにこと穏やかにこんなことを言う「君はゲーム好きかい?僕と勝負しよう」
「いいよ」
「……」「へえなに、その目。あーしになんか文句あるなら、正直に言ったら」
「みうなちゃん、やめてあげなよ」みうなと呼ばれたゴールドシルバーの髪色をした女の子は、俺よりも何センチも身長が高く、上から見下げられた。青みがかった銀髪の男の人がそれを宥めている。ブロンドヘアの女の子は、「ごめんなさい」と俺に謝ってくる。帰宅する。ドッと疲れた。こんなに人がいる空間に長時間いたことがないから、息が詰まりそうだった。自室には俺が保護した猫がいる、名前はシロ。灰色だと思っていたけど、洗ってあげたら真っ白になったから、シロって名前が似合う子だと思ってそう呼んでる。今も気持ち良さそうに、すやすやと丸まって寝ている。色んな人と関わりを持ったり、話すことができたり。ちょっとだけ幸せな日々を送る。✦江國さんたちが帰った後、部室に残って他の部員が戻ってくるのを待ちながら、穂乃果と一緒に話し合っていた。
江國さんの古くからの知人である入間くん、それから彼のいとこで最近引っ越してきた化野くん……だったかな。彼らも僕たちに協力してくれるみたいだ。「江國さんが良い人で良かったね」
「よかったねえ、片瀬くん……っ」
「ほのかも。手伝ってくれてありがとう」
「そんなことないよ、わたし、片瀬くんのお手伝いしたいんだ」彼女は、そういうと愛らしい笑顔を僕に向けてくれる。なんて愛おしいんだ。僕だけを見てくれたらいいのに。そう思っていると、美海が戻ってくる。「二人ともたっだいまー!」穂乃果に抱擁する、僕たちの会話を最初にそれを聞きつけたのは美海だった。ねえねえどうだった?どうだった?と穂乃果に聞いている。美海は少し自慢げにこう伝えてくる。「その子、やっぱりみやこちゃんでしょ。みおみおの妹ちゃんって、月学の生徒で、昔から絵を描くのがすごく上手な子だったと思う」そういうと、感激したような顔でしずねちゃんがみうなを褒めていた。「さすがの情報通ですね、雲母先輩。」
「いやいや〜そんなことないない〜!あーしその姉妹ちゃんと同中だったの」と、照れ臭そうに「えへへ」と笑っている。その後ろで、大智が話しかける「いやあ、どこかの誰かさんとは大違いすね笑」と、言うと静寧ちゃんは怒って反論する。「貴様、何か言ったか」
「大体、無能な副部長を教育するのが部長の役割なんじゃないすか」
「誰が無能だと?!あたしを侮辱するのは構わないが、片瀬部長を馬鹿にするのは許せない」こうなると、誰にも静寧ちゃんを止められない。そして、しずねちゃんは僕の方を見て、お疲れ様ですと会釈する。「すみません、無礼を」
「ううん、構わないよ」
「片瀬部長、あたしがその子について下調べしましょうか?」
「それもいいけど……、大丈夫だよ。直接会って話すつもりさ。警戒されちゃうからね。事情を素直に話せば、きっと分かってくれるはずさ。」そういうと美海はうーんという顔をする。「そうかなあ、部長て側から見れば変な人だしな〜怪しさマックスかも」
「えっ」
「か、片瀬くん……っがんばれ……」「そうだ、快斗は今日はいないのかい」
ええ、海神先輩は他校の友人に会いに行かれました。
「そーそー、快斗さん今日いないの、残念〜…」
「それなら後で僕が彼に伝えよう」僕らは、あの事件を起こした犯人を宇宙人だと見て踏んでいる。「同じく、目撃者である美織さんの妹は、彼らと同じ月世学校通っているみたいなんだよ。彼女から目撃情報を聞き出すのを、次の目的にしようか。」「ね〜宇宙人がきた痕跡とかないわけ?宇宙船とかあったらもっと分かりやすかったのに。いやてかさ、その事件の犯人が宇宙人だとしたらウチらヤバくね?勝てるかな。あーしたち、この街の救世主になっちゃうかもね」そういうと続け様に大智がこう言い出す。「でも空き缶拾いからの脱却は熱いすね〜、このままじゃボランティア部だったっすよ笑 たまにはやるじゃないすか部長!笑」「おい、栗栖野。今片瀬部長を馬鹿にしたな?」
「ええっ僕がいつ部長を馬鹿にしたっていうんすか」
「その口の利き方を今すぐ正せと言ってるんだ」
「静寧ちゃん僕は大丈夫だよ」「この馬鹿の無礼をお許しください」
「気にしないでいいよ」
「いやあ流石すね〜寛大な心をお持ちで笑」
「一々鼻に付くな貴様」
「うんうん!仲が良いって良いなあ。」「よし、それじゃあまずは宇宙人を捕縛……、する前に街を散策でもしようか」
「お、お〜…っ!」
「マジ?部長〜またそれ?」
「片瀬部長、いいですねやりましょう!」
「楽しくなってきましたね〜笑」✦その日、別のクラスと自習で合同体育があった。緒環がいるクラスだったが、緒環はその日、相変わらず授業をサボっていた。昔はそんなにサボるようなイメージはなかった。寧ろ、積極的に授業に参加していた気がする。中学生の頃の話だけど。緒環は運動部で、バスケ部に所属していた。化野は、数日前から、気付いたら栂宮と仲良くなっていた。見覚えのある人物だと思っていたが、そうだ。栂宮は緒環と同じクラスの女子生徒であり、あの時オカルト研究部の部室に一緒にいた子だ。ということは、兄が殺されて、つまり被害者遺族にあたる子だ。あの時、化野も栂宮も一緒の場所にいたけれどその時はあんまり会話もしていなかったから、そもそも初対面なのだとばかり思っていた。いつから仲良くなっていたのかとか、どういう経緯で知り合ってたとか、わざわざ聞くこともなかったし、それぞれ事情があるだろうから。それで、今も相変わらず化野は栂宮と一緒にいた。「生徒会長、ごめん。ちょっと悪いんだけどさ、人数足りなくてさ」
「ああ、わかった」バスケの人数合わせとして俺が抜擢された。何もやっていないより、何かやってる方がマシか。二人の様子を横目で見ると、てくてくと、二人で会話をしながら遠くの方まで歩いていき、その場でしゃがみ込んで何かを描いている。聞き耳を立てて会話を聞くのはあんまり良くないかもしれないが、耳に入ってきてしまったものは仕方がない、と自分の中で言い訳した。「化野、何描いてるの」
「猫の交尾」
「ふふ、子供みたい」あいつは一体、何をしているんだ……。栂宮だってそれは、嫌じゃないのだろうか。二人は楽しそうに会話していた。栂宮はきっと、化野が異星人であることを知らない。化野は、あの場所にいて、栂宮が被害者であることを少なからず聞いていた。なんだか、途轍もなく嫌な予感がする。化野は気紛れで俺の言うこと聞かないときもある。本当はここまで関与する必要なんかないんだ。でも、何かあってからじゃ、遅い。それを分かっていたのに無視し続けて栂宮が殺された、なんてことがあったら、物凄く胸糞悪いからだ。なら。俺はそのことを栂宮に直接言うべきだ。あんまり自分から人と関わるのは得意じゃないけれど、でも。見て見ぬふりは俺にはできない。✦放課後、緒環のクラスに行くと、そこには栂宮がいる。化野が言ってるように、栂宮は放課後教室に残って一人で原稿描いているらしい。どうやらそれは本当みたいだ。「栂宮」
「あれ 珍しいね、何か用?」
「……少しいいか」
「うん?」栂宮はきょとんとした顔で見ている。そりゃ突然俺から急に話しかけられたら、嫌だろうな。本当に申し訳ないとは思ってるから手短に話そう。「化野とは、仲良くしない方がいい」
「それはどうして?」それは……、そう言いかけたところで言葉が詰まる。化野は異星人だ、なんて言って信じてもらえるはずがない。寧ろ、嫌がらせのように感じさせてしまったらどうしよう。少なくとも、栂宮は家族を殺されてる身なんだ。冗談でも聞きたくないし、不快に感じるだろう。なにかもっと別の言い方をした方がいいのかもしれない。例えば、卯崎に手を出した件を知っているかを聞くべきだ。そう悩んでいる内に、栂宮が口を開く。「かいちょ〜、もしかしてヤキモチ妬いてる?」
「な、」
「案外、独占欲強いんだあねえ」
「ち、違……、」独占欲?そんなもの、ない。変な勘違いをされてしまった。ああ、どうしてこんなことになる。日頃の行いが悪いからか。そんな絶望した俺の顔を見て、栂宮はこう続ける。「ふふ、冗談だよ。そんな顔しないで?
……でもね、みやがあだしののしたこと、なんにも知らないわけじゃないからね」栂宮は、俺の反応を見て、ふふ、とぷくぷく笑っている。「そんなに心配しなくてもだいじょぶだよ。あだしのは、きみが思ってるほど悪い子じゃないよ、だめって言ったらやめてくれるし」
「……あいつが過去にやってることを知っても?人はそう簡単には変わらない。無知は、最大の悪だ。俺は悪意だと捉える。」栂宮は、それを聞いても何も動揺せず、終始落ち着いたような、柔らかい口調で話し続ける。「うーん、みやはあだしのから悪意を感じないな。いい子でいようとしてくれるなら、いいんじゃないかな。今は、そう。もしあだしのがみやに酷いことしたら、みやはあだしののそばにはいない。それだけ。そんなに難しく考えなくても」栂宮宮子は、なんというか、淡々としすぎている。それじゃあ、被害に遭ってからになってしまうし、遅すぎると思うんだけどな……。「今はいい子のあだしのに、少しでも生きやすいようにって思うから、みやがそばにいたいんだ」それを聞いても俺の意見は変わらない。数日経っただけの関係で、何が分かるというんだろうな。何をそんなに簡単に信じられるんだ。栂宮の前ではいい子にしてるだけだ。どうして、そこまで化野を信用できる。化野は卯崎の次に、栂宮をターゲットにしている可能性があるのに。化野の本性なんか、本心なんか。俺にも分からないし。ただずっと俺に何か隠してることがある。それだけは分かる。「……とにかく、伝えたから」
「……」
「栂宮?」「あだしの」え。そうして栂宮が見ている方向へ目をやると、教室の前の廊下に、化野が佇んでいた。「みやこ」化野は栂宮に、にこと口元の口角を上げて笑顔を向けた後で、今度は俺へと顔を配る。化野は首を傾げてきょとんとしている。「入間、なんでここにいんの」
「いや、」
「珍しー」俺は言葉を何も返さず、急いでその場を後にする。廊下を早足で歩く。後ろを振り返ったが、化野はいない。化野は別に追いかけてこなかった。化野は他の人と絡みたがらないし、他の人間に対して無関心でどうでも良さそうだった。それなのになぜか栂宮とだけは仲良くする。栂宮は化野よりもずっとずっと小さくて体格差もある女の子。化野は簡単にみやこの肉体を抑え込める。触手があってもなくても。俺のことだっていとも簡単に抑え込める力がある。簡単に利用されたり、洗脳されたり、人質にされるかもしれない。このままじゃ栂宮が化野の犠牲になるかもしれない。俺が止めないと。✦絶対に収めてやる。こいつが悪人だという物的証拠を。……そのつもりでやっていたのに。くだらないホームビデオみたいな
やつしか撮れなかった……これじゃあ証拠不十分だ。というか、カメラロールを化野の写真や動画でいっぱいにしている俺の方が変なんじゃないか……?俺……何してるんだろうなんだ……これ、見覚えがないな。『これ寂しがり屋な入間の為に今回だけ……特別な』なんか知らない間に勝手に動画撮られてるしうざいな……これだから貸したくないんだよ……、……言ってることも意味わからないしな。『そうだ、この動画を見せれば一回タダでなんでも付き合う権利、やる。うれしい?一緒にご飯食べて、喧嘩して、ゲームして。なんでもいいよ』なんの動画だよ……お前、宇宙人なんだからご飯なんか必要ないくせに。俺だけ食べてたら虚しいだろ『なあ、寂しくなったらさ。何度でも再生してよじゃあ、またね。』やっと終わった……もう二度と再生することもないだろうな。✦生徒会執行部に所属する生徒は、生徒会以外に部活に所属していたり、バイトをしていたり、塾に通っていたりするということもあって、大体一人で残って18時近くまでやっている。生徒会室は他の生徒が簡単に入ってこないし、入る用事がある人が滅多にいない、ごく少数ということもあって、お昼時間や放課後はここにいることが多い。教室には、各グループがお昼休憩を取っていて居づらいし、屋上前には男女がよくいるし、意外と空き教室にも人がいたりするから、居場所がない。でも、ここなら。何より鍵は俺が管理しているから、正直すごく居心地が良い。ここでなら勉強もしやすいし、リズムゲームもできる。俺はここで、一人でリズムゲームするのが好きだ。キャラクターがかわいいやつとか、今時の流行りのゲームとかあるけど、俺がやっているのは、じんがいと小さい女の子が出る、ピアノのゲームだ。すごく落ち着く。他のゲームの方が有名だったり、キャラクターが可愛かったりするから、俺と同じリズムゲームのアプリをやってる人を電車内で見ると、すごく嬉しい気持ちになる。後輩を先に帰らせて、自分だけが残り、生徒会の活動を終える。部屋を後にする。鍵をしっかり閉めると、そこである人物に呼び止められる。「入間」
「ごめんね、いるま」栂宮と一緒にいる化野の姿だった。栂宮は化野の隣で申し訳なさそうな顔をしている。付き合わされていて可哀想だった。「こっち」
「ううん、言い方が」
「えっ」栂宮は首を横に振る。化野は首を縦に振る。「入間、生徒会の仕事終わったんだろ、なら一緒に来て。来なきゃ、どうなるか分かるだろ」
「あだしの!」
「だめ?」
「その言い方は怖いよ」
「あわあわ」何を見せられているのかわからなかった。ただ、化野の言葉に栂宮が慌てて止めている。というより、ちゃんと叱っていた。もっと化野が支配的で、栂宮が言いなりになっているのだと思ってた。けど、実際は逆だった。化野が、他人の言うことをこんなに聞くなんてすごく珍しくて、正直驚いた。その後、化野は栂宮の前に屈んで、栂宮が化野に何かを耳打ちをしているようだった。そうして化野が腕を組みながら露骨に「なるほどね」と言い、作戦会議が慎重に練られていた。めんどくさいから早く帰りたい。立ち去ろうとしたら、再度足止めを食らう。「今から帰り?」
「ああ」
「一緒に帰ろう」
「嫌だ」
「え、」化野は真顔だが、すごく困っている様子だった。「(なんか予定と違う)」
「(頑張って)」栂宮が困った顔で何度もこちらを見ているもんだから、流石にここで断ることができなかった。化野は他人を巻き込むことで、外堀から埋めていって、俺に断りづらい環境を作られているようで狡賢いことを考えるな、とつくづく感心する。「分かった、分かったから」
「ほんと?」
「よかったねえ、あだしの」化野が前をすたすた歩き、栂宮が俺の横を歩いている。度々、化野が後ろを振り返る。栂宮は「かいちょ〜、ありがとう」と嬉しそうに笑っていた。「あ、二人もこの駅で降りるんだね」
「栂宮はここの近くに住んでるのか」
「うん、あそこだよ」俺と化野が住む学生アパートの近所に住んでいるようだった。学生アパートは、月待駅から徒歩10分の場所に月世学校からは、二駅の場所だ。「あだしののお家って」
「あそこのアパートだよ。今度遊びにおいでよ」勝手に他人の家に呼ぶな、と思った。栂宮は女の子だし、男二人がいる部屋にってなると、少しだけ気不味い。「じゃあまた明日ね」
「うん」化野は栂宮と同じように手を振っている。栂宮は美織さんの妹だ。そういえば、星彩学園に行ったとき、一緒にいたことを思い出した。だから、姉妹で被害者の遺族であるということだ。✦俺は、またあの夢を見ている。景色は相変わらずだけど、何回か話していく内に、彼のことを夢の中でしか会えない友達みたいに思っていた。これも全部、俺の脳が作り出した存在なのだろうけど。
彼はいわゆる、俺のイマジナリーフレンドなのだろうが、夢の中でしか話せないけれど、ここに、話せる友達がいる。それなら別に、現実世界に友達がいなくてもいいと思ってる。「優真」
「ん どうしたの、唯月」夢の中にいる人間なら、別に言ったって構わないよな。自問自答でしかないだろうし。俺が考えつく以上の答えが、夢の中に出るはずがないから。「俺、人とどう向き合ったらいいか、分からないんだ。」化野との出会い、事件のこと、卯崎のクローンこと、江國や緒環、片瀬。これまであった経緯を全部話すと、優真は驚いたような表情を見せる。「今まで、そんなことがあったの」
「ああ」
「そっか、色々大変だったんだね」優真はうーんと悩んだ後で、「俺の中でまだ解決策は見当たらないけど、でも、俺に打ち明けてくれてありがとう。少しでも君の心が軽くなればいいなって思ってるし、俺は君の手助けがしたい。」優真といるとなぜだか安心感がある。そう言ってくれる人が、この世の中にいたらいいのに。そう思っている自分がいるのかもしれない。「そうなった原因は、もっと過去にあると思う」
「……過去に」
「未来にはないし、現在にもないよ。必ず過去にあるんだ。全部。一人でいいって思ったことも、なにか理由があったんじゃないかな」どうして俺は一人でいようと思ったんだろう。「俺は友達といるのが好きなんだ。それに家族とも」
「そう…か」
「うん、だから早く会いたいよ」ああ、だから俺は一人ぼっちなんだ。一人でいる方が気が楽で、誰かに迷惑かけるとか、誰かに期待されるとか、誰かに嫌な思いをさせるんじゃないかって嫌な想像に脳みそを持っていかれて。楽しいって思えば思うほど後は落ちるだけだって。幸せな未来を考えるだけで、怖かった。未知なものを恐怖に思うのと同じで、俺は幸せとか、先にある未来がどうなるのか分からなくて怖い。もし初めから全部なくなるって分かっている方が俺はまだ真っ直ぐに向き合えるのに。
なくなることがなによりも怖い。失望されるのが怖い。大切な人が急に目の前からいなくなっていくのが怖い。全部自分本位で、自分勝手で、自分のことばかりで。「……俺とは違うな。優真は。周りのみんなを大切にしていて、周りの人を大切にしていて。大切に思える人がそばにいて。俺とは違う。羨ましいよ。」優真はずっと、周りの人を大切にしているから、周りの人から同じように大切にしてもらえる。俺は、優真みたいに強くない。誰かと関わりを持つ度になくなる未来を想像する、怖がりで、臆病者な俺とは違う。俺がそんなこと考える間、ただただみんなを真っ直ぐに信じている。もはや、妬むとか、羨むとかそういう感情ですらない。光の元に生きているみたいだ。俺とは生まれてくる星の元が違うんだ。俺は、周りの人を大切にしてこなかったんだ。こんな俺に手を差し伸べてくれる人がたくさんいたのに、全部振り払っていたんだ。だから俺と優真はこんなにも違う。俺は一人だ。ずっと、ずっと。それでもいいって思いたかったんだ。でも、本当はずっと、寂しいんだ。俺も、優真みたいに生きられたらよかったのに。「唯月も俺の友達だよ」
「え、」「……嫌だった?」
「そんなこと、ない」優真は照れ臭そうに笑っている。そういう態度を取られると俺もなんだか恥ずかしくなってくる。「……よかった。自分だけが友達だって思ってたら、どうしようって思ってた」
「ううん、俺は、嬉しかった」
「唯月」ありがとう、と優真は柔らかい笑顔をこちらに向けてくる。俺も、それに合わせて同じように笑顔を返す。「君が笑っているところ、初めてみた」俺の方へ振り向き手を差し出してくる。俺がおずおずと手を差し出すと、優真がぐい、とその手を迎えるように優しく握手をする。「君に会えてよかった」
「優真」
「君に話せてよかった」
「俺も」「君と話したい、君のこともっと知りたい」……優真は優しい声色で俺に聞く。その時だった。彼は吐血していた。「優真、それ」その直後、突然彼の方から手が離される。彼は蹌踉めきながら一歩後ろへと下がり、前屈みで腹部を抑えながら、はーッ、はーッ、と何度も肩が上下している。どんどん、彼の息遣いが荒くなる。「……ッ、 はぁ、は、あ゙、ぐ、 ッ」俯いていた顔を上げる。彼の顔を視認する。顔面蒼白で、冷や汗が垂れている。彼の目は見開かれ、嗚咽を漏らす。
そうして「あ、ッあ、」と喘ぎだす。ぐちょり、ぐちょり、という、ここでするはずのない嫌な水音と共に。見たくない。嫌な予感がする。ゆっくり彼の腹部を見ると、そこには。「優、真」「あ゙……、ッ゛、唯月、逃げ、で」彼の腹部からは、触手の先端が出ていた。……生えているんじゃない。彼の腹部をぬらりとした触手が貫いている。俺は思わず、身体が動かなくなる。「優真、」
「あ、ぁあ゙、!!! い、ッ、痛い゙ッ痛い゙!!!」彼の声は上ずり、苦しそうに嗚咽を漏らす彼の肉体を容赦無く触手が犯し続ける。触手は彼の腹部を貫いたまま、彼の口腔へと伸びていく。「ンぐッ ぅ !!!、」触手の先端で口腔を犯す。眼球は上を剥き、瞳の端からは涙が流れ、足は大きくガクガクと痙攣し、肉体反射で失禁している。持ち上げられて、足先だけが地面に着いていた。そのまま喉の辺りが風船のように、異様なまでに膨らんでいく。触手が食道まで伸びていっているのが分かった。その間も彼は「ッ゙!!! ッ゙!!!」と、声にならない声を上げ続ける。完全に気道を塞がれて苦しそうに悶えている。そうして、そのまま。「ッッッ゙ ───────ッ!!!」喉を裂いて触手が出てくる。そこから先端が見え、行き場を失くしていた血液がビュうッと勢いよく噴き出る度に彼の肉体がビク、ビク、と反応する。そのまま彼の肉体はガクッと膝から崩れ落ちるように力無く倒れ込もうとするが、触手に持ち上げられている為、気絶して倒れることも出来ず、腕をぷらぷらと空中に遊ばせながら、その場で立たされ続けている。触手が貫いたところは重力によって段々上側へと侵食し、中央にぽっかり空いた穴は気付けば丸から楕円形になり、縦へと徐々に裂けていく。喉から突き出た触手の先端がビクッビクッと脈打つように上下している。そこから血が混じった透明の粘液が垂れて、そのままツーと床まで糸を引いていた。彼のズボンの隙間からは、タラリとした鮮血が流れている。人が踠き苦しんでいる様子を、俺は真横からただただ見ることしかできなかった。自分の手の平を見ると、噴き出した時に着いたであろう血液が、服までべっとりと付着している。「……あ、ああ、 ッ、はあ、 はッ、はあ、」硬直し喘ぐことしかできなくなった俺の背後からぽつりと、声がする。「俺が先に名前、呼びたかったのにな」そのまま勢いよくズルッと彼の肉体から触手が引き抜かれると、その勢いで前方へとぐしゃりと倒れ込み、辺りを真っ赤に染める。辺りは血の海だった。彼の瞳は白目を向きながら見開かれ、頬は血と涙で濡れている。顎は砕かれ、舌が突き出され開きっぱなしになった口からはゴポリ、と粘液に混じった血の塊を零す。咽喉に穴が開いており、壊れた水道の蛇口のように血液が止め処なく流れ出ている。そこから白濁とした液体に混じった皮膚の一部が一緒に吐き出され飛び出ていた。彼の肉体にはぽっかりと縦長の穴が開き、内臓は原型を留めておらず、ぐちゃぐちゃな肉塊となって辺りに散乱していた。彼と認識すらできないくらい、ぐちゃぐちゃにされていたらまだ良かったのに。先程まで普通に一緒に会話していたはずなのに。一瞬にして人形みたいに動かなくなってしまった。グロテスクな光景と、悲惨な姿になった彼を見てしまったから。心臓の鼓動は一向に治る気配もない。「ぁあ、っはあ、はあ、は、」その場に膝から崩れ落ち床に蹲り、涙を落とす。
そんな俺に、声の正体は背後から優しくぎゅっと抱きしめてくる。上半身を起こされ、俺の肩に顔を埋めて耳元で囁いてくる。「迎えにきたよ」「帰ろう」振り解きたいのに、恐怖で振り解くことが出来なかった。「目を逸らすな、見ろ」と言わんばかりに。
手が、全身が、痺れているみたいに震えて、力が抜けてしまう。その間も、ずっとずっと抱きしめられ続けている。「……ッ、う゛う、うっ、」どうしてこんなことを。どうして。話せたのに。漸く誰かに話せたのに。そう思いながらもどこかでこれをされるのが自分じゃなくてよかった、そう安堵してしまっている自分がいることが何よりも嫌だった。『君に会えてよかった』そう笑顔を向けて笑いかけてくれた、情景が思い浮かんで相反して血塗れになっている彼を見ていると、自分の無力さに、涙が止まらなかった。✦✦05話 白日夢《終》公開日 2025.05.05
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